「インクルーシブ教育」に関連した話。
最近、刺さった本。
『跳びはねる思考 会話のできない自閉症の僕が考えていること』
東田 直樹 著 イースト・プレス (2014/9/5)
http://www.eastpress.co.jp/shosai.php?serial=2137
著者の東田さんは、偶然にも私の元勤務校の市内に住んでいる方である。
紹介文にもある、帯から引用する。
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(引用開始)
僕は、二十二歳の自閉症者です。人と会話することができません。
僕の口から出る言葉は、奇声や雄叫び、意味のないひとりごとです。
普段しているこだわり行動や跳びはねる姿からは、僕がこんな文章を書くとは、誰にも想像できないでしょう。
(引用終了)
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もう、仰る通りである。
一時期、テレビにもかなり出ていたようなので、知っている方もいるかもしれない。
世の中の自閉症者に関する誤解を解くとともに、正しい理解や新しい視点を与えてくれる内容である。
もう刺さりまくる言葉だらけなのだが、次の言葉を紹介したい。
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共感は難しい。相手の気持ちを考えるだけでなく、そこに自分の気持ちを重ねてしまうから。
自分が主人公になった物語を創作してしまうのだと思います。
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「自分が主人公になった物語を創作」という表現が、ぐさりと刺さった。
共感の大切さは、言わずもがなである。
しかし、つい次のように言ってしまわないだろうか。
「わかるよ。○○だものね。」
ここが、結構、いや、かなり的外れなことが多いようである。
これは自閉症やその傾向にある人に対してだけではない。
あらゆる意思疎通の場面において起きる。
「わかるよ。○○だもんね。」
「あ、ああ、そうね・・・(汗)。
(いやいや、だからそれが違うんだって!!わかってよ!!)」
ということがないだろうか。
いや、かなりあるのではないか。
自分がそういう思いをしたことがあるということは、自分も誰かにそういう思いをさせている可能性がかなり高い。
空気が読めなくても別にいいのだが、相手の心が読めてないかもという自覚だけは常にあった方がよい。
共感。
言うは易く行うは難し。
それは本当に共感か、自問するようにしたい。
2017年9月22日金曜日
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