ある学校でインクルーシブ教育をテーマに話をさせていただいた。
教育委員会よりインクルーシブ教育の研究指定を受けているとのことである。
もう、職員室の前を通るだけで、職場の雰囲気がいいのがわかる学校である。
「気になる子を伸ばす指導」という演題であった。
私の講座内容の中心となる考えは「気になる子こそ、神様」である。
ちなみに、この本の中で私の書いた章と同じタイトルである。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181856119
現に、私が色々な場でお話ができるのは、歴代の子どもたちのお陰である。
その中でも、「気になる子」が教えてくれたことは数知れない。
(その学びを支えてくれたのは、その周囲のもっと数多くの子どもたちである。感謝しきれない。)
今回もチャンスもいただけた。
「気になる子」は、やっぱり神様だったというのが実感である。
私は、経験知で話す。
散々悪戦苦闘させてもらったお陰で「気になる子」の話はネタが尽きない。
(そんな配置をしてくれた歴代の校長先生方にも感謝である。)
元ネタがバリエーション豊富にたくさんあるから、アイデアもいくらでも生まれる。
創造性とは、表現そのものである。
創造性とは、勉強するものではなく、実践するものである。
だから、たくさん辛い思いをして苦しみ泣いた経験のある人の方が、この面は強い。
最低限の知識を勉強したら、創造性を発揮するべくあとは実践あるのみである。
一方で、この「最低限の知識」の大切さも強調したい。
知識があると、見え方が変わる。
「観」が変わるということである。
捉え方が変わるということである。
例えば、電車内で突然意味不明の言葉を叫ぶ人がいたとする。
普通にみれば「変な奴がいる」「怖い」となる。
何かしらの知識がある人なら「ああ、今フラッシュバックしたのかな」「何か思い出したのだろうな」と思う。
教室にいる「気になる子」も、知識がないと「ただのわがまま」「手のかかる子」で片付けられてしまう。
今回の講座では、前半に理論と私の実践例を紹介し、後半にワークをしてもらった。
前半の知識をもとに、後半やってみるという流れで、私はこの形をよくとる。
講座が終わった後に「(夏休みだから)明日子どもがいないのが残念でならない。」
という感想を述べていただいた。
「学ぶ」ということに真剣に向き合っているからこそ出るコメントである。
「学即実践」である。
講師をさせていただいたお陰で、誰より私自身が学べた。
今回学んだことを早く実践したくてたまらない気持ちになった。
2017年9月17日日曜日
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