2018年1月13日土曜日

不足は幸福の母

人間というのは、苦労して得たものに価値を見出す。
渇望している時に得たものに感動するほどの喜びを覚える。
あるはずのものが不足し、それが手に入った時に、有難みに気付く。

つまりは、「不足が感動・感謝を生み、幸福につながる」と考えた次第である。
不足は幸福の母である。
逆にいえば、不足を感じずに充足された場合、価値も感動も感謝も生じない。
それは、まことに不幸なことである。

私の大好きな寓話に、「王様のご馳走」のお話がある。(子どもの頃きいた話で、出典がわからない。)
あらゆるものが何でも手に入り、世界中の料理を食べ尽くしたグルメの王様がいる。
国一番の料理人を呼びつけ、未だ食べたことのない最高に美味い料理を出せという。
料理人は承知し、ただ、その料理はお城の中では食べられないと伝える。

料理人は王様を連れて山を越え谷を越え、歩き続ける。
馬車の入れない山道なので、王様も一緒に歩くしかない。
「まだ着かないのか」「もう少しでございます」
「何か食べるものはないのか」「世界最高の料理を召し上がっていただくので、ご辛抱ください。」

王様は空腹が限界に達する。
「お腹がペコペコで、もう歩けない!」
(そもそも、ぐうたら暮らしていたせいで、体力も根性もないので、音を上げるのも早い。)

そこで料理人は「世界最高の料理」を出す。
何と、具も何もないただの「塩むすび」である。
王様は、貪るようにそのおにぎりにかぶりつく。
「こんなに美味いおにぎりは、生まれて初めてだ」
と感動する。

そんなお話である。
私はおにぎりと聞いたが、外国の話だから、もともとの話では一切れのパンなのかもしれない。
おにぎりだろうがパンだろうが、どこにでもある普通の食べ物である。
それを「世界最高」と感動させた隠し味は、空腹感、つまり、不足である。

不足による必要感こそが、ものの真の価値を照らし出す。
万事に通用する真理である。
崇高なものに対してから卑近なことまで、あらゆることに適用できる。

私の好きな、パナソニック創業者の松下幸之助氏も、同じようなことを述べている。
空気は、ないと数分ののちに生命がなくなるほどの重要なものであるのに、無限に近いほど、ふんだんにある。
空気と同様のものが、水である。
松下氏は、ある時労働者が水道の水を出しっぱなしにしながら、がぶがぶうまそうに飲むのを見た。
これこそが自分のやりたいことだと気付いたという。
電気がまだ出始めの頃、あらゆる人にこの電気を水のごとく自由に使えるようにしたら、さぞ人々の幸せにつながると考えたのである。

果たせるかな、今、世界は電化製品だけでなく、あらゆるモノが溢れ返り、すべてが極めて便利になっている。
しかし、それで人類が幸福になっているかというと、話は別である。
便利さが、逆に不満を生み出している。
「有り難い」はずのものが「あって当然」「ないと不満」という傲慢さや矛盾を生むことにつながっている。
モノだけではなく、非物質的なものや、人間関係にまで広がっている。

きれいな水が水道から出ることは、本来当然ではない。
平和はタダじゃないし、選挙権は自然に発生しない。

学校を例に出すと、誰しもが勉強できることは当然ではない。
また、学び方も重要である。
その問題は、どうやって解けるようになったのか。
試行錯誤したのちの正解にたどり着く感動があったのか、解き方を教えてもらって公式を覚えて解いたのか。
そうなると、テストで同じ100点を取るのでも、価値は違う。

どうやって手に入ったものなのか。
子どもがお小遣いを貯めてプレゼントしてくれたものの価値と同じ。
サンタクロースのプレゼントをもらえるのと、クリスマスだから何か買ってもらえるという子どもとの感覚の違い。

人生全般も同じ。
仕事が頂けることに有難みを感じ、喜びの中働くのか、単なる労役なのか。
通勤するのだって、無数の様々な人の支えがあってこそである。
同じ一秒でも、生き方で価値が変わる。

話が大きくなったが、要は適切な不足感や不便さは、必要だという考えである。
教育においては、何でも保護して与えてあげることによる不幸は計り知れない。
生きる力をつけたいなら、考えるべきは不足感。
今後の大きなテーマとして考えていきたい。

2018年1月11日木曜日

仕事を「道楽」に

去年の勤労感謝の日のメルマガから。
この日は働くことを尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝をする日である。

この互いへの感謝というのは、大切であるといつも感じている。
満員電車は誰でも嫌だが、実は電車を満員にしているこの人々のお陰で、自分も快適に生きられているのである。
それを思い出さないと、周りの「赤の他人」が皆邪魔者であるが如く、不遜な態度になりがちである。

「職業に貴賎なし」の言葉は、解釈を間違えなければ、正しい。
仕事は社会における役割分担であり、どの職業も欠くべからず、必要である。
(ただし、この場合の「職業」というのは、社会に役立つものを指す。
窃盗団や詐欺集団の如きものは、この場合の「職業」とはいえない。
社会の多くの人々への幸せに貢献しないからである。)

働くことは、尊い。
歴史に名を残す大富豪は、どんなに富を築こうとも、働くことをやめない。
労働が喜びだからである。

明治から昭和にかけて大活躍した、本多静六という偉人をご存知だろうか。
日比谷公園の設計や明治神宮の造林等、数えきれないほどの功績と共に莫大な富を築いた人物である。

本多氏の次の本に、かの渋沢栄一氏の言が紹介されている。
『私の財産告白』本多静六 著 実業の日本社文庫
http://www.j-n.co.jp/books/?goods_code=978-4-408-55122-7

渋沢氏曰く、本多氏がすすめているのは「職業道楽」なのだという。
そして、金は「道楽の粕」であり、ついでに、また盛んにその粕を溜めることが肝要である。
順番として、道楽、即ち生きる楽しみとしての職業があり、それに付随してお金がついてくるという考え方である。

教師の職業を「道楽」と言うと、お叱りを受けるかもしれない。
「道楽」の指すところの意味が、「本業」ではないからである。
しかしもし仮に、教師の仕事を「本業」であると同時に「道楽」であるとして考えてみる。

学級を組織する、学力をつける、子どもを守るといった諸々は、間違いなく「本業」である。
好むと好まざるとに関わらず必須事項であり、それこそが仕事の中心である。
しかし、わくわくしながら教材の準備をしたり、わざわざ書かせた日記を読んでコメントするのは、「道楽」であるともいえる。
やりたくてやっているからである。
いや、それも本業だ、と言われればそれまでだが、やらなくてもよいのである。
好きでやっているのだから、やはり道楽であるともいえないだろうか。
ちなみにその視点でいくと、私にとってのセミナーや執筆活動は、間違いなく「道楽」である。
人々の役に立てたり、喜んでもらえることは嬉しい。
100%自分がやりたくてやっている活動である。(しかも、やめても誰にも迷惑をかけない。)

他にも、この本には
「人生即努力・努力即幸福」
「二杯の天丼はうまく食えぬ」
など、名言揃いである。
慶応年生まれの人物の言葉だが、平成の時代を生きる私たちにも大いに役立つ。
「働く」ということを考える上でも、おすすめの本である。

生きているうち働けるうち日の暮れぬうち(相田みつを)
今日は日々働けることに感謝し、周りにも感謝したい。

2018年1月9日火曜日

2020年大学入試改革に向けて

今週末はセンター試験である。
そこに関連する話。

2020年大学入試改革が目前に迫っている。
この大学入試の在り方というのは、高校以下すべての学校の在り方そのものを左右する。
センター試験で広汎な知識を問うマークシートのテストがあるから、それに合わせた勉強が必要になる。
一方、これから導入されていく予定の記述式は、採点が難しい分、思考力や表現力を問うことができる。
単純に考えて、小学校段階から知識・理解よりも、思考力・表現力重視になっていくことが予想される。

現在のセンター試験の科目は、最も多い7科目型で
「外国語」「国語」「数学」「公民」「地理歴史」「理科」の7つである。
これを小学校におろすと、外国語、国語、算数、社会、理科、の5つである。
特に外国語200点は、3科目選択の場合でも避けて通れない。
こうなると、小学校段階から外国語が重視されるのは、試験の面からも当然ということになる。
この流れ自体は、2020年でも変わらず、むしろこれ以降もその重要性は高まる一方である。

外国語について話す・聞く・読む・書くという経験を、どれだけ実践的にやれるかがカギである。
小学校段階においては、現在話す・聞くという活動がメインだが、これからは読み・書きの活動も入ってくるだろう。
具体的には、教師以外の外国人講師を交えてのコミュニケーションをとる活動はこれからも更に活発化する。
加えて、英語による手紙のやりとりといった子ども同士の交流も入ってくることが予想される。

大学入試の改革は小学校段階は大きな影響がないように思われるかもしれないが、とんでもない。
大学入試で問われる内容とは、そのまま社会で役立つ力そのものである。
小学校でも「主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングの視点からの授業改善)」が広く言われている。
つまり、その時代の社会で即戦力になる能力を備えた人物像を想定した育成が求められる。

これからの時代に必要な人材とは、知識・理解をベースとして、自らの頭で思考・判断し、それを表現していける人物である。
それも、他と協力しながら、よりよい社会を創造していこうという姿勢を兼ね備える必要がある。
これらは、すべて子ども時代から身に付けていける素地である。

知識・理解のないところに、深い思考と判断はなく、表現もできない。
よって、知識がベースとして必要になることはこれからも変わらない。
小学校レベルの例でいうと、台形の面積を公式を使って求められるだけの力なら必要ない。
三角形の面積の求め方を応用して、台形の公式を作り出せる、あるいは、何通りもの方法を考え出せる力が必要となる。
さらにそれを、言葉や図や式を使ってわかりやすく伝える(表現する)力である。
発展して、様々な図形の場合においても試行錯誤して求め、その過程を説明できるようになる力である。

ごく単純に言えば、頭でっかちで答えがわからないと動けない人間は必要とされない。
知識がある上で、答えが見えない場合でも根気強く考えて解決しようとする人間が求められる。

こういった人間は、学校の中だけでは育たない。
本当に未解決の問題は、学校の外にあるからである。

例えば、3.11からの復興問題。
超高齢社会の問題、
こうした未解決の大問題に向き合い、その解決の糸口を見つけるには、まず現場に出向くことである。
よって、大学入試においても、ボランティア活動の経験は必須になっていくだろう。
社会のために貢献することが真に自分のためにつながる、という実感は、体験を通してしか得られないからである。

広く日本の社会に貢献し、世界に貢献しようという、志のある人物の育成。
これこそが、現在の教育の目指す方向ではないかと考えている。

2018年1月7日日曜日

いつでも壁がある

昨年11月、第4回やる気スイッチセミナーがあった。
満員御礼の会場の中、熱の込められた発表が続いた。

私を含め、講師を務めた全員に共通していることがあった。
うまくいっているようで、誰しもそれぞれの壁に当たっているということである。
周りからすればうまくいっているように見える実践でも、必ずしも満足いっていない。
本人の中では課題だらけである。
むしろ課題が見つからず、「どうすればより良くなるのか」がわからないというのが、最も悩む。

30代あたりで、多くの人が当たると思われる壁がある。
学級経営において「自分の思う通りになる」ということへの恐怖感である。
統制がとれすぎることへの疑問である。
もっといきいきと自由に学ぶ学級を求めて、長い長い試行錯誤が始まる。
私も未だに壁にぶつかりっぱなしである。

自由な学級といえば、有名なところで、岩瀬直樹先生の実践がある。
(参考 『クラスづくりの極意―ぼくら、先生なしでも大丈夫だよ』 
岩瀬直樹著 農山漁村文化協会
https://www.amazon.co.jp/dp/4540102516
「信頼ベースのクラスづくり」を掲げ、ファシリテーターとしての教師像の具体を示している。
多くの人にとっての憧れの形であり、理想形である。
しかし、単純にそのまま真似しても、なかなかうまくいかないのも事実。
そのレベルの実践には、一足飛びにいけるものではないのである。
ご本人が様々な形の実践を重ねた上での、集大成である。

例えば向山洋一氏は、法則化運動、TOSSという大きな動きを作った。
向山学級の数々の実践に憧れて、多くの教師が参加している。
向山実践の追試によって、救われた人は数知れない。
しかし、それで向山氏と同じ方法をとり続けようとしても、必ずどこかで壁にぶつかる。
こればかりは、実践して失敗しながら経験を積むしかないのである。
転ばないで自転車に乗れるようになることなできない。
法則化された方法といえども、この法則に例外はない。
(ただし、誰がやってもある一定の効果が出る指導方法自体は存在する。)

ただ、様々な手法を知っていると、目的と相手に応じた選択ができるようになるのは事実である。
選択が多いというのは、より「自由」ということである。
本を読んだりセミナーに参加したりというのは、自分の中の選択肢が増えるという点において、大変有益である。

私は仕事術に関しての話だったが、選択肢が増えた人も結構いたのではないかと思われる。
「ノー残業デー」の設定を当たり前と考えていた人、定刻退勤は無理と考えていた人に、一筋の光を示せたのではないかと思う。
ただし、必ずしも私の提案した方法を採用しなくともよい。
ただ単に、選択肢が増えただけである。

今回のセミナーでは、私自身のやる気スイッチが入った。
セミナーに関わった全ての方々に感謝申し上げたい。

今回のセミナーの後で、次の会が決まった。
次は逆に私たちが仙台に赴く。

第40回縁太会『教えます!「やる気スイッチ」ON!学級開き』
講師:飯村友和×松尾英明×縁太会
月日:3月31日(土)
時間:10:00~17:00
場所:戦災復興記念館4階第1会議室
↓申し込み
https://ssl.kokucheese.com/event/entry/502449/

この会でも、自分の中の新たな「壁」にぶつかるだろうと予測している。
ご縁のある方との次の出会いを楽しみにしている。

2018年1月5日金曜日

余裕は、作るもの

「余裕」という言葉がある。

「裕」の意味をGoogleさんに入れて検索すると
1.物が十分あってゆとりがある。ゆたか。 「裕福・富裕・余裕」
2.心がひろい。せせこましくない。 「寛裕」
とある。

これが余っているのが、余裕。
素晴らしい状態である。
「裕」の字が広く人名に好まれて使われているのも頷ける。

拙著『「あれもこれもできない!」から…「捨てる」仕事術』
https://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-171335-5
の中に、この「余裕の大切さ」について書いた項目がある。
心理学の「空間補完効果」を例に、余裕を作る大切さを挙げている。
要は、無理矢理にでも余裕を作ると、それを埋めたくなる心理が働く。

これと併せて、パーキンソンの法則も取り上げたい。
この第1法則は
「仕事の量は、完成のために与えられた時間をすべて満たすまで膨張する」
である。
つまり、余裕を作ろうと最初から設定して仕事をしない限り、一生余裕はできないのである。
時間制限を自分で設けない限り、仕事が早く終わることは、まずない。

逆にいえば、予定を先に入れてしまえば、必ずそこまでに仕事は終わる。
土日に遠方での結婚式が入っていれば、確実に金曜日までにすべての仕事を終わらせるはずである。
金曜日の夜に大切な用事が入っていれば、確実に定時に終わらせるはずである。
もっといえば、その日我が子が突然高熱を出したということになれば、誰かに託して無理矢理にでも終わらせるはずである。

つまり、仕事は本気の時間設定さえすれば、そこで終わる。
覚悟、決意の問題がかなり大きい。
これは、決してただの精神論ではない。
「そんなこと言っても無理」といっている間は、無理である。

爆発事故から帰還を果たしたアポロ13号の乗組員は、「無理」と言わなかった。
明らかに無理な状況に「無理」という代わりに、「どうすれば」ということに頭を捻った。
無理と諦めてしまえば、死ぬ状況である。
だから、「必死に」なってやれることをやった。

そこまで必死にならなくてもいい。
ただ、一定の時間内に仕事を終えることは、工夫すればできるはずである。
失敗しても命の危機に陥る訳じゃないので、ストップウォッチをもって挑戦してみればいい。

余裕は、作るもの。
作れば、埋めたくなって、何かが変わる。
仕事をする上で、一つ大切な考え方であると思う。

2018年1月3日水曜日

子どもに良い思い込みをさせる

新年は、色々な人に会う機会が増える。
親戚や知人の子どもに会って、お年玉をあげたり、一緒に話したりする機会もあるだろう。
そんな時に注意したいことがある。

何かというと、子どもは、お年玉も冗談も額面通り受けとるということである。

どういうことか。

お年玉は、渡した金額の通り受け取るのが普通である。
1000円渡しておいて、本当は5000円渡したいのだけど、ということが通用しないことは誰でもわかる。
普通に考えて、1000円より5000円の方が嬉しいだろう。

冗談もこれと同じで、言った言葉の通り受け取る。
冗談の裏の伝えたいことより、そのまま額面通り受け取るということである。
愛情を込めた冗談のつもりで言ったのに、本当に悪口として受け取るということである。
普通に考えて、馬鹿にされるより褒められる方が嬉しいだろう。

子どもには、大人に通じる冗談が通じないという前提をもつことである。
(本当は、大人もきちんと褒めてもらう方が嬉しい。
 親戚の前で「うちのは何やってもダメで」なんて言われて、妻(夫)が嬉しいはずがない。)

親戚の集まりというと、それぞれの近況の話になることがある。
受験生がいるなら逆に気を遣って話題にならないかもしれないが、時に学校の成績の話になったりもする。
親としては自慢するのも気が引けるので、「私に似て出来が悪くて」などといった謙遜をするかもしれない。

ここである。
親が「私の出来が悪い」のは構わないが、子どもを巻き込んではいけない。
子どもは、そういう冗談からも「自分は出来が悪い」と捉える。
他人が同意しようものなら、その疑いは確信に変わる。

昔はよく幼子に対し「お前は橋の下で拾われた」などという冗談を言ったという。
これは、よくない。
私の母も、幼い時分に親戚の誰だかに突然言われたことがあるそうで、ひどく動揺して泣いたと言っていた。
冗談でも、実は深い心の傷になっている。
(何をねらった冗談なのか、未だに不明である。)

逆に考えると、子どもは褒められた通りに受け取るのだから、褒めた方が良い。
「あなたはお母さん似ね」と言われれば、否定したい気持ちをもちつつも、そうなのかなと思う。
そこに「優しいところもお母さんそっくり」と言われたら、悪い気もしない。
一人ならともかく、複数にそう言われたら、確信に変わる。
優しいという自己イメージをもった子は、人付き合いに対し前向きな姿勢をもつようになる。

子どもに対しては、人前でその子の良い点以外は言わない。
また、親の謙遜にも同意しないことである。
子どもは、冗談をそのまま受け取り、褒めたことも、素直に受け取る。
どうせなら、良い思い込みをさせることである。
学校でもそのまま適用できる、使い方要注意の教育の原則の一つである。

2018年1月1日月曜日

新年の目標の作り方と達成のコツ

2018年初投稿は、新年の目標について。
新年の目標がうまく立てられないという人は多い。
今日は教育の観点から、少し長いが、そこのコツのお話。

目標設定については、様々な書籍があり、手法がある。
様々学ぶ中で、現在の私がアレンジして採用している方法を紹介する。

前提として、「人生の目標」と「直近の目標」は分けて考える。

人生の目標とは、いわゆる大目標である。
年ごとに変わるものというより、人生全般の目標である。
とてつもなく大きくてもいい。
どうやって達成するかもわからなくてもいい。
「夢」に近いものである。
規模も個人レベルのものから国家、人類レベルのものまで様々である。
とにかく大きさや手段を度外視していい。

ちなみにこの人生の目標は、なければなくてもいい。
「あるとそっちに行きやすい」ぐらいのものである。
いわゆる成功者の中にも、ここを設定しないという人もいる。
「目標があると燃える」というタイプと「目の前のことに集中した方が燃える」というタイプの違いである。
ポジティブとネガティブのようなもので、どちらが良いというものでもない。
自分に合う方を選べばよい。

次に、直近の目標というのは、いわゆる小目標である。
「今年の目標を立てる」という場合は、こちらに当たる。
仕事や趣味、人間関係など、様々な分野で設定する。
直近の目標設定のコツは、「ストレッチ」である。
つまり、多少の無理が必要なレベルで、痛すぎない程度のもの。

「教育観と仕事術」押しのメルマガだけに、仕事の退勤時刻を目標の例に挙げる。

例えば、昨年に毎日8時まで残業している日々があったとする。
ここへのストレッチ目標を立てる。
実態にもよるが、多少「無理」を通す必要がある。
「毎日7時半退勤」では、ストレッチが利いていない。
簡単すぎて気が緩み、楽しみもメリットも味わえない。
「毎日6時半」ぐらいは攻めたい。
これなら失敗しても、7時には帰れる。
最初から7時半設定では、失敗した場合、元の木阿弥である。

逆に、いきなり「毎日5時退勤」もいただけない。
最初から無理しすぎである。
やりながら、全くうまくいかないので続かず、これもすぐに元の木阿弥。
身体が超カタいのに「いきなりベタっと開脚」を目指すみたいなものである。
やる前は3億円宝くじを買う時ぐらい高いテンションで希望に満ちているのに、やるとゴールが全く見えず、続かない。
ストレッチを利かせて、だんだん柔らかくしていく必要がある。

目標設定では、その先に「ワクワク」する目的をもつことが必要である。
この例で言うなら、空いた時間で、具体的に何をしたいかである。
せっかく早く帰ってもすることがないなら、すぐに元に戻ってしまう。
つまり、目標の先の目的があるかどうかである。
「毎日早く帰って〇〇をする!」という目的があれば、毎日6時半退勤も可能である。
目標は、強い目的意識さえあれば、かなりの確率で達成できる。(逆もまた然りである。)

例えば、単発でその日に大切な人との約束があったとすれば、確実に早く帰る工夫をし、多くは成功するはずである。
もっというなら、それがわかっているから、早い段階で事前に入念な準備をするだろう。
前日までに必要な作業を全て計画的に終了させようとするはずである。
(だから、事前にわかりきっているような仕事を退勤時刻直前に思いつきで「今から」と突然言う人は犯罪的ですらあると考える。)

退勤時刻の目標設定の意義とは、これを1年間に応用できることである。
つまり、無意識に流れてしまう時間を、意識でコントロールすることができる。
何もしなければ、確実にまた毎日8時退勤の日々が待っている。
しかし、目的をもって目標に向けた行動を計画しておけば、現実に変化を起こせる。
人生を変えられる。
それが結局、大きく見れば人生の目標に近づくことにもつながる。

成功のコツは、目標達成への具体的な行動対策を複数立てることである。
例えば「体重を減らしたい」なら、運動と食事と睡眠の3方向からアプローチする。
1つはダメである。
3つやっていれば、1つサボって失敗した時があっても、残り2つで継続し、立て直せる。

先の退勤時刻の例で考える。どれも、10個程度の対策案を立て、最低3つは実行する。
・残業デーをつくる
・会議は必ず勤務時間内に設定する
・実はやらなくても済む仕事を整理する
・休日出勤を禁止し、平日にすべて計画する
・週末に仕事が残っている場合、終わらせるまで飲みに行かない
・土日も早起きする
・朝6時出勤する
・スケジュールの公開をする
・仕事術系の本を毎日読む
・残業デーをつくる
・・・

まだまだ考えられるが、全て一気にはできない。
自分に実行できそうなものを選べばよい。

新年の目標を立てる意義。
それは、自分が本当に何をしたいか、自分と話す時間をもてることである。

2018年がさらに素晴らしい年になることを願う。
  • SEOブログパーツ
人気ブログランキングへ
ブログランキング

にほんブログ村ランキング