磨き合う集団の最低要件は何か。
例の如く、逆思考でアプローチする。
磨き合う集団でない状態。
磨き合わない集団。
または、貶め合う集団。
磨き合わない集団は、個人プレーが顕著な特徴である。
自分さえ良ければいい。
関心の対象が自分のみで、他への興味・関心がない集団である。
集団の様相は、単に集まっているだけの「群れ」であり、烏合の衆である。
以前紹介した新型の「静かな学級崩壊」がこちらのタイプである。
貶め合う集団。
こちらは、興味の対象が他人である。
相手を落として相対的に自分を高める。
競争の際も「人に勝つ」という過程が目的化している。
悪口や噂話、嫌がらせや陰湿ないじめや暴力が顕著な特徴である。
集団の様相は、互いが自分の居場所を確保するために押し合いへしあいしている。
一般的にイメージされる学級崩壊の状態である。
では、ここから逆に磨き合う集団を考える。
興味の対象は、自分及び他者。
自分が良いだけでなく、仲間も良いことを求める。
相手を高めることで自分も高める。
得意の相互提供で成り立つ。
健全な競い合いや教え合いの姿が見られる。
感謝や尊敬、人が喜ぶことや困っている人へのいたわりが顕著な特徴である。
集団の様相は、協力することで成し遂げる共通の目的を持ち、居場所は自由ながらもある程度のまとまりを持つ。
つまり、磨き合う集団には
1 共通の目的がある
2 個の違いを認め、各々の得意分野を生かせる
3 他者への関心(思いやり)がある
というあたりが最低要件である。
1は学級目標等が担保する。
2は各教科や生活の多様な場面で発揮できる。
3が最も難しいが、本来、他者への関心は本能である。
2で自分ができる何かをして、人に喜んでもらうという経験は3につながる。
だから、子どもたちにできそうなことは、遠慮なく頼んでどんどんやらせた方がいい。
自己有用感が高まる。
そのチャンスを教師が奪わないことが大切である。
得意の提供ができる場面を多様に用意して、磨き合う集団づくりを進めたい。
2016年10月16日日曜日
2016年10月11日火曜日
学級という集団の目的
学校教育法第二十一条の目標を読む。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO026.html
それぞれ、次の活動や教科が中心に担っていると解釈した。
一 学級づくり
二 生活科・体験学習・環境学習
三 社会科・国際理解
四 家庭科・社会科
五 読書・国語
六 算数
七 理科
八 保健体育
九 音楽・図工
十 キャリア教育
なお、道徳は「教育活動全体を通じて行われる」ため、一~十のほぼ全てに関わる。
無論、他の教科等もそれぞれ横断的に関わる点があるのだが、中心はこのように読めた。
そう考えると、やはり学級づくりと道徳教育が、かなり重要な位置を占める。
二以降の学習を効果的に成立させる「磨き合う集団」にするためには、ここが外せない。
そもそも、学級とはいかなる集団なのか。
学級は、学習するための集団である。(この場合の学習は学力全般を含むが、それに限らない。)
磨き合う学習がなされない集団は、学級とはいえない。
まとまっているだけではダメである。
「学級崩壊させない・防ぐ・予防する」等は、結構な数の本のタイトルに使われている。
それだけ、現場教員が集団の形をキープするのに腐心しているということである。
しかし、本来ここが目標ではないはずである。
磨き合う集団をつくる最低要件を考えていく。
http://law.e-gov.go.jp/htmldata/S22/S22HO026.html
それぞれ、次の活動や教科が中心に担っていると解釈した。
一 学級づくり
二 生活科・体験学習・環境学習
三 社会科・国際理解
四 家庭科・社会科
五 読書・国語
六 算数
七 理科
八 保健体育
九 音楽・図工
十 キャリア教育
なお、道徳は「教育活動全体を通じて行われる」ため、一~十のほぼ全てに関わる。
無論、他の教科等もそれぞれ横断的に関わる点があるのだが、中心はこのように読めた。
そう考えると、やはり学級づくりと道徳教育が、かなり重要な位置を占める。
二以降の学習を効果的に成立させる「磨き合う集団」にするためには、ここが外せない。
そもそも、学級とはいかなる集団なのか。
学級は、学習するための集団である。(この場合の学習は学力全般を含むが、それに限らない。)
磨き合う学習がなされない集団は、学級とはいえない。
まとまっているだけではダメである。
「学級崩壊させない・防ぐ・予防する」等は、結構な数の本のタイトルに使われている。
それだけ、現場教員が集団の形をキープするのに腐心しているということである。
しかし、本来ここが目標ではないはずである。
磨き合う集団をつくる最低要件を考えていく。
2016年10月9日日曜日
学歴と受験・就職
前号の続き。
子どもに学歴は必要か。
結論、これは「必要な人と必要でない人がいる」というのが正直なところである。
確かに、学歴が全く意味をなさない職業もある。
特にユーチューバーやブロガーなど、近年新たに誕生した仕事には、学歴はあまり意味がないかもしれない。
起業家の中にも、中卒、高卒の人が結構な数いる。
しかも、これからさらに多くの職業が生まれ、既存の仕事がなくなっていくというから、先が全く見えない。
一方で、学歴が必須であったり、確実に強みとなる仕事も山ほどある。
少なくとも「就職活動」を考えるのであれば、かなり意味がある。
東大卒だから優秀とは限らないかもしれないが、東大に入れるだけの学力をつける努力をする力は、並大抵のものではない。
十分に採用の際の参考になる。
だとしたら、教員は何をすべきか。
これは、つけられる学力をきちんとつけてあげるべきだろう。
無責任に「勉強ができなくてもいいよ」とはいえない。
しかるべき努力をすればつく学力(体力も同様)については押さえさせたい。
それによって、「自分もできる」という自信がつくことが何より大切である。
さらに学習塾とも対立せず、うまく連携をとるべきだろう。
学習塾は「自分では家での勉強の計画や実行ができない」という子どもにとっては、原動力になり得る。
また受験を考える上で、子どもの志望校ごとに受験対策を立てられるのは学習塾の強みである。
受験対策の一点に全力を注げる以上、ここについては、プロフェッショナルである。
そうなると、学校の大きな仕事は何か。
「学校教育法」第21条にはその目標が10項目示されている。
最も大切である第1項目の文の最後は「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」である。
社会性を養うこと。
そのための集団をどうつくるかである。
ここが最も大きい仕事である。
主体的に社会の形成に参画し、かつ学力をつける集団づくりについて考えていく。
子どもに学歴は必要か。
結論、これは「必要な人と必要でない人がいる」というのが正直なところである。
確かに、学歴が全く意味をなさない職業もある。
特にユーチューバーやブロガーなど、近年新たに誕生した仕事には、学歴はあまり意味がないかもしれない。
起業家の中にも、中卒、高卒の人が結構な数いる。
しかも、これからさらに多くの職業が生まれ、既存の仕事がなくなっていくというから、先が全く見えない。
一方で、学歴が必須であったり、確実に強みとなる仕事も山ほどある。
少なくとも「就職活動」を考えるのであれば、かなり意味がある。
東大卒だから優秀とは限らないかもしれないが、東大に入れるだけの学力をつける努力をする力は、並大抵のものではない。
十分に採用の際の参考になる。
だとしたら、教員は何をすべきか。
これは、つけられる学力をきちんとつけてあげるべきだろう。
無責任に「勉強ができなくてもいいよ」とはいえない。
しかるべき努力をすればつく学力(体力も同様)については押さえさせたい。
それによって、「自分もできる」という自信がつくことが何より大切である。
さらに学習塾とも対立せず、うまく連携をとるべきだろう。
学習塾は「自分では家での勉強の計画や実行ができない」という子どもにとっては、原動力になり得る。
また受験を考える上で、子どもの志望校ごとに受験対策を立てられるのは学習塾の強みである。
受験対策の一点に全力を注げる以上、ここについては、プロフェッショナルである。
そうなると、学校の大きな仕事は何か。
「学校教育法」第21条にはその目標が10項目示されている。
最も大切である第1項目の文の最後は「主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。」である。
社会性を養うこと。
そのための集団をどうつくるかである。
ここが最も大きい仕事である。
主体的に社会の形成に参画し、かつ学力をつける集団づくりについて考えていく。
2016年10月7日金曜日
子どもの将来に学歴は必要か
次の本を読んだ。
『悩みどころと逃げどころ』
ちきりん 梅原大吾 共著 小学館新書
https://www.shogakukan.co.jp/books/09825274
「世界一のプロゲーマー」梅原大吾さんと、「社会派ブロガー」ちきりんさんの対談本である。
以前この梅原さんの本を読んで、大変面白かったため、今回も買って読んでみた。
世界一のプロゲーマー。
「ストリートファイター」シリーズ専門の、格闘技ゲーム限定のプロである。
「高橋名人」以外にそんな職業の人を意識したことがなかったので、衝撃であった。
梅原さんは、ゲーム一筋で生きてきたため、学歴がない。
一方のちきりんさんの方は、国立大学を出た後、アメリカの大学院で修士号をとるという学歴の持ち主。
真逆の二人なので、対談の全てが真逆の論理展開である。
この対談本での、学歴論争が面白い。
学歴は必要か。
持たない梅原さんは「必要」といい、持つちきりんさんは学歴の力に否定的である。
梅原さんの言葉を引用する。
==========
(引用開始)
ちきりんさんは自分に学歴があるから気がつかないんですよ。
僕がいた世界では、バイトでさえ学歴で人を判断する人が多くて、それが本当に屈辱的でした。
(引用終了)
==========
梅原さんは、一時期プロゲーマーをやめて就職しようとした時、学歴でものすごい差別を受けたという。
ちきりんさんは、学歴で優遇された覚えもないし、それを意識したこともないという。
本当に相手の立場に立つというのは、難しい。
見えている景色が違う。
難しいからこそ、相手の立場を慮る、豊かな想像力が必要である。
子どもの将来に、学歴は必要か。
改めて考えさせられるよい機会になった。
『悩みどころと逃げどころ』
ちきりん 梅原大吾 共著 小学館新書
https://www.shogakukan.co.jp/books/09825274
「世界一のプロゲーマー」梅原大吾さんと、「社会派ブロガー」ちきりんさんの対談本である。
以前この梅原さんの本を読んで、大変面白かったため、今回も買って読んでみた。
世界一のプロゲーマー。
「ストリートファイター」シリーズ専門の、格闘技ゲーム限定のプロである。
「高橋名人」以外にそんな職業の人を意識したことがなかったので、衝撃であった。
梅原さんは、ゲーム一筋で生きてきたため、学歴がない。
一方のちきりんさんの方は、国立大学を出た後、アメリカの大学院で修士号をとるという学歴の持ち主。
真逆の二人なので、対談の全てが真逆の論理展開である。
この対談本での、学歴論争が面白い。
学歴は必要か。
持たない梅原さんは「必要」といい、持つちきりんさんは学歴の力に否定的である。
梅原さんの言葉を引用する。
==========
(引用開始)
ちきりんさんは自分に学歴があるから気がつかないんですよ。
僕がいた世界では、バイトでさえ学歴で人を判断する人が多くて、それが本当に屈辱的でした。
(引用終了)
==========
梅原さんは、一時期プロゲーマーをやめて就職しようとした時、学歴でものすごい差別を受けたという。
ちきりんさんは、学歴で優遇された覚えもないし、それを意識したこともないという。
本当に相手の立場に立つというのは、難しい。
見えている景色が違う。
難しいからこそ、相手の立場を慮る、豊かな想像力が必要である。
子どもの将来に、学歴は必要か。
改めて考えさせられるよい機会になった。
2016年10月6日木曜日
お悩み相談「前担任のカラーが入って困っています」
読者の方から質問があったので、回答した。
他の読者の皆様にも参考になりそうなので、「寺子屋」としてシェアする。
======================
学級開きの際から、前担任のカラーが入っていて困っています。
前担任が「怖さ」で従わせていた場合、次の担任に従わないことがあると思います。
このような場合、何から、どのようにスタートしていけばよいでしょうか。
また、お試し行動、注目引きなどが続く場合の対応について教えてください。
=================
では、回答します。
前担任がどうであれ、自分の強みで勝負していきます。
ご自身の強みは、何でしょうか。
例えばエゴグラムでは、人間の持つ性格を次の5種類に分けます。
1厳格性(父性)
2包容力(母性)
3現実検討の力(大人の心)
4遊び心(自由な子供心)
5従順な心(従う子供の心).
これら5つのどれかではなく、みんな5つあってどれかが強いということです。
一般に、学級担任などのリーダー的立場の人は3が強いことが求められます。
恐らく、前担任は1が強いのでしょう。厳しい指導に頼りがちになります。
ただ1のタイプは、規律の乱れすぎた学級を経験して、それを嫌だと思っていた子どもたちからは頼られます。
ここからも自分の強みが見えるはずです。
2が強いタイプなら、子どもの話を聞いたりしてつながれます。
3が強いタイプなら、問題解決をすることで信頼されるようになります。
ここには授業力も含まれます。
4タイプなら子どもと遊ぶことでつながれるでしょう。
5タイプなら素直さや純粋さ、真面目さで引っ張れます。
先生自身の得意分野に引き込むことです。
そもそも、子どもはどうして先生に従うのでしょうか。
従わせる必要は何でしょうか。
言うことを聞かないのは4の子ども性の顕著な特徴の一つです。
子どもは、4と5の両面があり、かつどちらかが強いものです。
「従わせないでこちらの意図する方へもっていく」という考え方もありです。
「力のつく授業」
「たくさん子どもと遊ぶ」
「話をたくさん聞く」
どれならできそうでしょうか。
力のつく楽しい授業をしてくれる教師は、「先生」として認められます。
遊んでくれる教師には、反抗しづらいというのがやんちゃな子どもの本音です。
話を聞いてくれる教師は、安心できるというのが大人しい子どもの本音です。
学級開きに関しては、下記の本が使えると思います。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181852156
私の書いたものもあるので、参考にしてみてください。
また、子どもの価値観はころころ変わり、柔軟性があります。
怖さで従う価値観は、命に関わる緊急時以外は役に立たないので、さっさと壊してしまいましょう。
日常的に価値づけをしていきます。
ノートへ価値語を記す実践をやっている先生もいますが、それも有効です。
お試し行動や注目引きについては、「意図的な無視」の対応が原則です。
予め「あなたとみんなのために、良くない言動はわざと無視することがあるよ」と伝えておくのがポイントです。
「気になる子を気にしすぎない」というのが大切です。
こちらについては同シリーズの下記の本にも書いてあるので、よければお読みください。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181856119/
=======================
以上が質問に対する回答である。
何かのお役に立てば幸いである。
他の読者の皆様にも参考になりそうなので、「寺子屋」としてシェアする。
======================
学級開きの際から、前担任のカラーが入っていて困っています。
前担任が「怖さ」で従わせていた場合、次の担任に従わないことがあると思います。
このような場合、何から、どのようにスタートしていけばよいでしょうか。
また、お試し行動、注目引きなどが続く場合の対応について教えてください。
=================
では、回答します。
前担任がどうであれ、自分の強みで勝負していきます。
ご自身の強みは、何でしょうか。
例えばエゴグラムでは、人間の持つ性格を次の5種類に分けます。
1厳格性(父性)
2包容力(母性)
3現実検討の力(大人の心)
4遊び心(自由な子供心)
5従順な心(従う子供の心).
これら5つのどれかではなく、みんな5つあってどれかが強いということです。
一般に、学級担任などのリーダー的立場の人は3が強いことが求められます。
恐らく、前担任は1が強いのでしょう。厳しい指導に頼りがちになります。
ただ1のタイプは、規律の乱れすぎた学級を経験して、それを嫌だと思っていた子どもたちからは頼られます。
ここからも自分の強みが見えるはずです。
2が強いタイプなら、子どもの話を聞いたりしてつながれます。
3が強いタイプなら、問題解決をすることで信頼されるようになります。
ここには授業力も含まれます。
4タイプなら子どもと遊ぶことでつながれるでしょう。
5タイプなら素直さや純粋さ、真面目さで引っ張れます。
先生自身の得意分野に引き込むことです。
そもそも、子どもはどうして先生に従うのでしょうか。
従わせる必要は何でしょうか。
言うことを聞かないのは4の子ども性の顕著な特徴の一つです。
子どもは、4と5の両面があり、かつどちらかが強いものです。
「従わせないでこちらの意図する方へもっていく」という考え方もありです。
「力のつく授業」
「たくさん子どもと遊ぶ」
「話をたくさん聞く」
どれならできそうでしょうか。
力のつく楽しい授業をしてくれる教師は、「先生」として認められます。
遊んでくれる教師には、反抗しづらいというのがやんちゃな子どもの本音です。
話を聞いてくれる教師は、安心できるというのが大人しい子どもの本音です。
学級開きに関しては、下記の本が使えると思います。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181852156
私の書いたものもあるので、参考にしてみてください。
また、子どもの価値観はころころ変わり、柔軟性があります。
怖さで従う価値観は、命に関わる緊急時以外は役に立たないので、さっさと壊してしまいましょう。
日常的に価値づけをしていきます。
ノートへ価値語を記す実践をやっている先生もいますが、それも有効です。
お試し行動や注目引きについては、「意図的な無視」の対応が原則です。
予め「あなたとみんなのために、良くない言動はわざと無視することがあるよ」と伝えておくのがポイントです。
「気になる子を気にしすぎない」というのが大切です。
こちらについては同シリーズの下記の本にも書いてあるので、よければお読みください。
https://www.amazon.co.jp/dp/4181856119/
=======================
以上が質問に対する回答である。
何かのお役に立てば幸いである。
2016年10月2日日曜日
『ハンバーガグー!』
私は通勤時に電車で本を読む。
電車の中というのは、公共の場である。
よって、人目を気にするため、必要なことがある。
それは、かっこつけて読めることである。
いや、正確には、変な奴だと思われない程度でいい。
そのため、読んでいる本の表紙やタイトルは大切である。
『これであなたも激モテ』というようなタイトルの本はダメである。
何かこれを真剣に読んでいる時点で、ちょっと、いやかなり恥ずかしい感じが否めない。
(ちなみに私の友人の変な奴代表の某氏は、この手の本が学級経営にとても役立つと豪語していた。
意外と当たらずとも遠からずである。)
「ブックカバーをつければよい」というツッコミがありそうだが、それは自分的に邪道なので却下である。
もう一つ大切なのは、面白すぎないことである。
読んでて吹き出したり爆笑してしまうようなものは困る。
以前、電車の中でうっかり柳沢慎吾の「始球式」の動画を見てしまい、辛かった覚えがある。
なので、電車の中で「爆笑系」の本やメディアは厳禁である。
そんな「電車の中で読んではいけない本」を購入した。
次の本である。
『ハンバーガグー!』てぃ先生 著 KKベストセラーズ
https://www.amazon.co.jp/dp/458413720X
著者はツイッターで人気の男性保育士。
保育園での園児との爆笑&じんわり温かいエピソードの数々。
子育てと教育に携わる人に強くおすすめしたい一冊である。
(ちなみにこの一見すると意味不明の本のタイトルは、ある園児の言葉。
ハンバーガー&ハンバーグが混ざった造語である。)
私の好きな話は「プリンセスごっこ」。
複数の女子園児による、優雅なプリンセスごっこが展開される。
そんなプリンセスたちの今日の食事メニューは、味噌汁。
実に庶民的。
著者のてぃ先生は、プリンセスをお昼寝から起こす際に「小鳥」の役を命じられるのだが・・・。
最近子どもと接する時に元気が出ないという人には、特にお勧めの一冊である。
電車の中というのは、公共の場である。
よって、人目を気にするため、必要なことがある。
それは、かっこつけて読めることである。
いや、正確には、変な奴だと思われない程度でいい。
そのため、読んでいる本の表紙やタイトルは大切である。
『これであなたも激モテ』というようなタイトルの本はダメである。
何かこれを真剣に読んでいる時点で、ちょっと、いやかなり恥ずかしい感じが否めない。
(ちなみに私の友人の変な奴代表の某氏は、この手の本が学級経営にとても役立つと豪語していた。
意外と当たらずとも遠からずである。)
「ブックカバーをつければよい」というツッコミがありそうだが、それは自分的に邪道なので却下である。
もう一つ大切なのは、面白すぎないことである。
読んでて吹き出したり爆笑してしまうようなものは困る。
以前、電車の中でうっかり柳沢慎吾の「始球式」の動画を見てしまい、辛かった覚えがある。
なので、電車の中で「爆笑系」の本やメディアは厳禁である。
そんな「電車の中で読んではいけない本」を購入した。
次の本である。
『ハンバーガグー!』てぃ先生 著 KKベストセラーズ
https://www.amazon.co.jp/dp/458413720X
著者はツイッターで人気の男性保育士。
保育園での園児との爆笑&じんわり温かいエピソードの数々。
子育てと教育に携わる人に強くおすすめしたい一冊である。
(ちなみにこの一見すると意味不明の本のタイトルは、ある園児の言葉。
ハンバーガー&ハンバーグが混ざった造語である。)
私の好きな話は「プリンセスごっこ」。
複数の女子園児による、優雅なプリンセスごっこが展開される。
そんなプリンセスたちの今日の食事メニューは、味噌汁。
実に庶民的。
著者のてぃ先生は、プリンセスをお昼寝から起こす際に「小鳥」の役を命じられるのだが・・・。
最近子どもと接する時に元気が出ないという人には、特にお勧めの一冊である。
2016年10月1日土曜日
夏休みの作品をどう見るか
1月前のメルマガ記事からなので、時期外れなのはご容赦を。
以前書いたこともあり、ラジオなどでも話したことのある内容ではあるが、大切なことなので再度。
夏休み、様々な宿題が出ている。
それを子どもは一生懸命やってくる。
当然、親も一緒に一生懸命やらざるを得ない。
中には「親と共に取材してくる」というような、絶対に親がやらざるを得ない課題のこともある。
それも、もはや暗黙の了解のようになっている。
この大量に出される夏休みの宿題には、様々な問題が絡む。
そもそも、夏休みの作品を出さないで済む学校ならいい。
実際、そうもいかないところが多い。
色々、学校には地域の〇〇研究部会や各種コンクールから依頼が来ているのである。
学校としても、出さない訳にはいかないという事情がある。
もちろん、ここにはいい面もある。
力のある子どもにとっては、コンクールというのはいい力試しの場である。
試合があるから練習をがんばれるのと同じである。
問題は、そうでもない子ども。
やりたくないのに無理に絵を描いたり作文をしたりするのはかなり辛い。
だから、最近は絵やら工作やら研究やらを「選択」できるようになっていることも多い。
どれか一つぐらいはがんばってやっておいでよということである。
さて、そうなると、先に述べたように自力では難しいので、親が登場せざるを得なくなることもある。
(介入しすぎて、完全にその子どもの作品ではなくなっていることもご愛嬌。)
絵や工作、自由研究から読書感想文まで、ジャンル問わずである。
担任としては、普段指導しているだけに、子どもがどのような技能レベルかは大体把握している。
自力では到底できないであろう力作も中にはある。
それでも笑顔で子どもに「よくがんばったね」というのが通例である。
悪戦苦闘したであろう親の心情も慮ると、それしかいいようがない。
そこで気になるのが、どう見ても、周りと比べて出来映えがよくない作品。
ここをどう見るかが肝である。
本人自身、周りと比べても、自分のはダメだなと感じているかもしれない。
ただ、この子どもの作品は、先の視点からいくと、親の手が入っていない可能性が高い。
それは、意図的かもしれない。
親が「夏休みの宿題は子どもの宿題。親が手を出すべきでない」という方針をもち、子どもがすべて自力で作ったのかもしれない。
それは、必然的かもしれない。
親が病気などの諸事情で全く宿題を見られる状況ではなく、子どもがすべて自力で作ったのかもしれない。
はたまた、別の事情かもしれない。
ただ、子どもが独力で作ったらしいということだけが、高い確率で予想される。
学校の宿題そのものは、コンクールではない。
あくまで、その中でコンクール出品となる過程があるだけである。
だから、本来は出来映えどうこうを問うべきではない。
子どもが、それを通して、何を表現したかったかがすべてである。
本来は自力でやったかどうかが一番大切である。
その視点で見ると、褒める点がたくさんみえる。
その崩れかけた部分から、たどたどしい文章から、読み取れるものがある。
何とか接着したであろうそのボンドの跡から、本人の汗が見える。
表面的に見ない。
一面的に見ない。
夏休みの作品に限らず、子どもをみるすべての時において大切なことである。
以前書いたこともあり、ラジオなどでも話したことのある内容ではあるが、大切なことなので再度。
夏休み、様々な宿題が出ている。
それを子どもは一生懸命やってくる。
当然、親も一緒に一生懸命やらざるを得ない。
中には「親と共に取材してくる」というような、絶対に親がやらざるを得ない課題のこともある。
それも、もはや暗黙の了解のようになっている。
この大量に出される夏休みの宿題には、様々な問題が絡む。
そもそも、夏休みの作品を出さないで済む学校ならいい。
実際、そうもいかないところが多い。
色々、学校には地域の〇〇研究部会や各種コンクールから依頼が来ているのである。
学校としても、出さない訳にはいかないという事情がある。
もちろん、ここにはいい面もある。
力のある子どもにとっては、コンクールというのはいい力試しの場である。
試合があるから練習をがんばれるのと同じである。
問題は、そうでもない子ども。
やりたくないのに無理に絵を描いたり作文をしたりするのはかなり辛い。
だから、最近は絵やら工作やら研究やらを「選択」できるようになっていることも多い。
どれか一つぐらいはがんばってやっておいでよということである。
さて、そうなると、先に述べたように自力では難しいので、親が登場せざるを得なくなることもある。
(介入しすぎて、完全にその子どもの作品ではなくなっていることもご愛嬌。)
絵や工作、自由研究から読書感想文まで、ジャンル問わずである。
担任としては、普段指導しているだけに、子どもがどのような技能レベルかは大体把握している。
自力では到底できないであろう力作も中にはある。
それでも笑顔で子どもに「よくがんばったね」というのが通例である。
悪戦苦闘したであろう親の心情も慮ると、それしかいいようがない。
そこで気になるのが、どう見ても、周りと比べて出来映えがよくない作品。
ここをどう見るかが肝である。
本人自身、周りと比べても、自分のはダメだなと感じているかもしれない。
ただ、この子どもの作品は、先の視点からいくと、親の手が入っていない可能性が高い。
それは、意図的かもしれない。
親が「夏休みの宿題は子どもの宿題。親が手を出すべきでない」という方針をもち、子どもがすべて自力で作ったのかもしれない。
それは、必然的かもしれない。
親が病気などの諸事情で全く宿題を見られる状況ではなく、子どもがすべて自力で作ったのかもしれない。
はたまた、別の事情かもしれない。
ただ、子どもが独力で作ったらしいということだけが、高い確率で予想される。
学校の宿題そのものは、コンクールではない。
あくまで、その中でコンクール出品となる過程があるだけである。
だから、本来は出来映えどうこうを問うべきではない。
子どもが、それを通して、何を表現したかったかがすべてである。
本来は自力でやったかどうかが一番大切である。
その視点で見ると、褒める点がたくさんみえる。
その崩れかけた部分から、たどたどしい文章から、読み取れるものがある。
何とか接着したであろうそのボンドの跡から、本人の汗が見える。
表面的に見ない。
一面的に見ない。
夏休みの作品に限らず、子どもをみるすべての時において大切なことである。
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教室は、自分の考えを発表する機会が多い。 そして、声が小さいと聞こえづらい。 そうなると「大きな声で」という指導が入りがちだが、これだけだとうまくいかない。 前提条件がある。 まず、たとえ小さな声でも何とか聞こえる環境を作る方が先である。 原則は、仲間の発表中は全員が黙って聞く姿...
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あいさつ運動、どの学校でもやるのではないかと思う。 しかし、なかなかできるようにならないのが実情である。 街中、都会になるほどしなくなる。 人が多すぎる為かもしれない。 それでも、学校はあいさつ指導の核になる場である。 (全ての教育の核は、学校である。地域の大人も学校の...
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名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...