運動会や縄跳び大会等、各種行事や集会などがあると、準備に時間がかかる。
正直、大変である。
特に勝負事になると、負けられないと思う人が多い。
自分が負けるのは構わないが、クラスの子どもが負けるのは忍びない思いにかられる。
だから、勝負事は結構嫌がられる。
もし、その行事がないとどうなるのか。
「楽」である。
しかし、「楽しい」かどうかは別問題。
やはり、困難があってこその感動がある。
少し面倒でも、何か行事があれば全力を尽くしたい。
「ピンチはチャンス」「トラブルはチャンス」「困難が人を育てる」・・・
とにかく、「大変」なことは、「大きく変わる」チャンスととらえた方が良い。
行事に時間をかけすぎて、本業の勉強がおざなりになっては絶対にいけない。
本業にも力を入れつつ、行事をうまく活用したい。
2014年2月16日日曜日
「クラス会議」導入
冬休みに影響を受けた本の内の一つを紹介。
「クラス会議で学級は変わる!」諸富祥彦 監修 森重裕二 著 明治図書
友人に教えてもらった本である。
割と素直な質なので、勧められたらとりあえずすぐ買う。
それで失敗したことがない。
友人や知人にダメなものをすすめるはずがないからである。
「クラス会議」そのものの実施方法も、これを読むとすごく分かりやすい。
ちなみに「クラス会議」とは簡単に言うと、
「毎日決まった短い時間を確保して、議題についてみんなで解決策を考える」というような手法。
3学期から実際に導入している。
理由は、ここを支える哲学に共感したからである。
「守られた失敗しない安全な環境よりも、
失敗しても大丈夫な試行錯誤していける安全な環境へ」
「『問題』ときいてイメージするものを、『罰』『叱責』から『解決』『責任』へ」
「みんなで解決策を考えることで、みんなが考えてくれる体験ができる」
こういった言葉が随所にあり、共感できた。
「クラス会議」自体は一つの手法だが、なぜその手法をとるのかが明確にわかる。
冒頭の文と矛盾するようだが、
「いい結果が出るらしいからやる」のではなく、
「なぜそれをやるべきか明確だからやる」というのが大切だと思っている。
もしかしたら、様々な実態に合っていなくて、いい結果が出ないかもしれない。
それでも、明確なねらいがあってやるなら納得がいく。
3学期、やるべきことに追われるのではなく、やりたいことを追いかけていきたい。
「クラス会議で学級は変わる!」諸富祥彦 監修 森重裕二 著 明治図書
友人に教えてもらった本である。
割と素直な質なので、勧められたらとりあえずすぐ買う。
それで失敗したことがない。
友人や知人にダメなものをすすめるはずがないからである。
「クラス会議」そのものの実施方法も、これを読むとすごく分かりやすい。
ちなみに「クラス会議」とは簡単に言うと、
「毎日決まった短い時間を確保して、議題についてみんなで解決策を考える」というような手法。
3学期から実際に導入している。
理由は、ここを支える哲学に共感したからである。
「守られた失敗しない安全な環境よりも、
失敗しても大丈夫な試行錯誤していける安全な環境へ」
「『問題』ときいてイメージするものを、『罰』『叱責』から『解決』『責任』へ」
「みんなで解決策を考えることで、みんなが考えてくれる体験ができる」
こういった言葉が随所にあり、共感できた。
「クラス会議」自体は一つの手法だが、なぜその手法をとるのかが明確にわかる。
冒頭の文と矛盾するようだが、
「いい結果が出るらしいからやる」のではなく、
「なぜそれをやるべきか明確だからやる」というのが大切だと思っている。
もしかしたら、様々な実態に合っていなくて、いい結果が出ないかもしれない。
それでも、明確なねらいがあってやるなら納得がいく。
3学期、やるべきことに追われるのではなく、やりたいことを追いかけていきたい。
2014年2月11日火曜日
休み明け、自分のやる気スイッチオン
長期の休み明け、学校や仕事に行きたくないと思う人が多いようである。
大人も子どもも同じである。
休み期間中はとにかく「楽」なので、そう思うのが普通である。
しかしどうせなら、楽しみに、ワクワクして仕事を始めたい。
自分自身を振り返って、どうやってやる気スイッチが入っていたのか考えてみた。
やる気が出なかった時がある。
やる気十分だった時もある。
何が違うのか。
クラスの状況か?
一緒に働く同僚か?
単に寒いからとか?
そういう環境的な要素も0ではないかもしれない。
しかしながら、例えば尊敬する先生と同学年を組んだ年であっても、やる気が出ない時もある。
あくまで私の場合ではあるが、ポイントは「勉強」。
休み期間中、何かを学んだりして、学級で試したいと思った時。
こういう時は、次の勤務に向けてもやる気が出る。
刺激になる本を読むことでも、セミナーを受けることでもいい。
旅行先等で面白いネタを見つけて、授業に使いたいと思うことでもいい。
とにかく、楽しみを自分で作ることである。
そんなことで、私の担任する子どもたちは、そこに付き合わされることになる。
3学期にしてクラスのシステムが一部変わったりする。
うまく機能しきらないこともあるが、3学期なのでそれでも何とかなる。
(ちなみに、ここに関してはおすすめはしない。システムは変えない方が、本当は安定する。)
それなら来年度の新しいクラスを持ってから始めればいいという考えもある。
しかし、今自分が「良い」と思ったことは、今目の前にいる子どもにしてあげたい。
今いる子どもたちを二度と担任できないと思うと、そう思う。
いつやるのってきかれたら、年がら年中いつでも「今」である。
流行語大賞になる前からこれから先まで、いつでも「今」。
そんな訳で、まだまだ新たにやりたい実践がいっぱいある。
もしやる気が出ないという場合、この楽しみを自分で設置するのも手であると思う。
大人も子どもも同じである。
休み期間中はとにかく「楽」なので、そう思うのが普通である。
しかしどうせなら、楽しみに、ワクワクして仕事を始めたい。
自分自身を振り返って、どうやってやる気スイッチが入っていたのか考えてみた。
やる気が出なかった時がある。
やる気十分だった時もある。
何が違うのか。
クラスの状況か?
一緒に働く同僚か?
単に寒いからとか?
そういう環境的な要素も0ではないかもしれない。
しかしながら、例えば尊敬する先生と同学年を組んだ年であっても、やる気が出ない時もある。
あくまで私の場合ではあるが、ポイントは「勉強」。
休み期間中、何かを学んだりして、学級で試したいと思った時。
こういう時は、次の勤務に向けてもやる気が出る。
刺激になる本を読むことでも、セミナーを受けることでもいい。
旅行先等で面白いネタを見つけて、授業に使いたいと思うことでもいい。
とにかく、楽しみを自分で作ることである。
そんなことで、私の担任する子どもたちは、そこに付き合わされることになる。
3学期にしてクラスのシステムが一部変わったりする。
うまく機能しきらないこともあるが、3学期なのでそれでも何とかなる。
(ちなみに、ここに関してはおすすめはしない。システムは変えない方が、本当は安定する。)
それなら来年度の新しいクラスを持ってから始めればいいという考えもある。
しかし、今自分が「良い」と思ったことは、今目の前にいる子どもにしてあげたい。
今いる子どもたちを二度と担任できないと思うと、そう思う。
いつやるのってきかれたら、年がら年中いつでも「今」である。
流行語大賞になる前からこれから先まで、いつでも「今」。
そんな訳で、まだまだ新たにやりたい実践がいっぱいある。
もしやる気が出ないという場合、この楽しみを自分で設置するのも手であると思う。
2014年2月8日土曜日
目標を明確にする
あと約1ヶ月で、3学期が終わる。
学級の完成と終結である。
私はよく、これを食べ物に例えて子どもに話す。
ケーキに例えることが多い。
1学期はスポンジ作り(土台作り)
2学期はフルーツをはさむ、生クリームを塗る(基本的事項の完成)
3学期は苺などの飾り付け(仕上げ)
3学期初めはもう、ほぼ出来上がっている状態である。
ケーキとしてとりあえず食べられる状態。
最低限の点検は必要だが、時間の都合上、あれこれやり直す時ではない。
私の学年の場合、学校に来る日数を数えたらあと30日足らず。
「規律」(=土台)などは、できている前提で進める。
子どもの力を最大値にまで高め、手放すための準備期間である。
2学期にある程度できている場合、3学期、何も準備しなくても、特に問題は起きない。
時が来れば、普通に終わることはできる。
しかし、それではあまりに味気ない。
3学期はいかに「余計なこと」をできるか。
「一手間」といってもいい。
何かしかけたい。
その前提となるのが、「目標を明確にする」こと。
今年度の最終着地点のイメージを、具体的行為像として明確に描きたい。
学力面はどうなのか。
技能・体力面はどうなのか。
学級目標に合致した姿になっていけそうか。
どんなイベントをやりたいか。
どんな卒業式を迎えたいか。
以前紹介した「未来学級通信」を書く手法でもいい。
人に見せなくてもいい。
ただし、学級の子どもたちと話し合って、イメージの共有はしておきたい。
目標さえ定まっていれば、行く方向は決まる。
目標設定だけは、確実に行っておきたい。
学級の完成と終結である。
私はよく、これを食べ物に例えて子どもに話す。
ケーキに例えることが多い。
1学期はスポンジ作り(土台作り)
2学期はフルーツをはさむ、生クリームを塗る(基本的事項の完成)
3学期は苺などの飾り付け(仕上げ)
3学期初めはもう、ほぼ出来上がっている状態である。
ケーキとしてとりあえず食べられる状態。
最低限の点検は必要だが、時間の都合上、あれこれやり直す時ではない。
私の学年の場合、学校に来る日数を数えたらあと30日足らず。
「規律」(=土台)などは、できている前提で進める。
子どもの力を最大値にまで高め、手放すための準備期間である。
2学期にある程度できている場合、3学期、何も準備しなくても、特に問題は起きない。
時が来れば、普通に終わることはできる。
しかし、それではあまりに味気ない。
3学期はいかに「余計なこと」をできるか。
「一手間」といってもいい。
何かしかけたい。
その前提となるのが、「目標を明確にする」こと。
今年度の最終着地点のイメージを、具体的行為像として明確に描きたい。
学力面はどうなのか。
技能・体力面はどうなのか。
学級目標に合致した姿になっていけそうか。
どんなイベントをやりたいか。
どんな卒業式を迎えたいか。
以前紹介した「未来学級通信」を書く手法でもいい。
人に見せなくてもいい。
ただし、学級の子どもたちと話し合って、イメージの共有はしておきたい。
目標さえ定まっていれば、行く方向は決まる。
目標設定だけは、確実に行っておきたい。
2014年2月6日木曜日
艱難汝を玉にす
「反省はするが後悔はしない。」
そんなことを、行事の後や、子どもを叱った後などにも話す。
一年を振り返ってみても、そうでありたい。
「艱難(かんなん)汝を玉にす」という中国の諺がある。
苦労や困難が人を成長させるという意味の諺である。
振り返ると、誰しも一年で様々な困難があったことと思う。
困難を経験してここにいる自分。
困難を避けてここにいる自分。
どちらが成長しているかは、明白である。
「若い内時の苦労は買ってでもせよ」ともいう。
正直その時に買いたくはないが、振り返ると良かったといえる。
成長の度合いは、どれだけ挑戦したかということと同義である。
そんなことを、行事の後や、子どもを叱った後などにも話す。
一年を振り返ってみても、そうでありたい。
「艱難(かんなん)汝を玉にす」という中国の諺がある。
苦労や困難が人を成長させるという意味の諺である。
振り返ると、誰しも一年で様々な困難があったことと思う。
困難を経験してここにいる自分。
困難を避けてここにいる自分。
どちらが成長しているかは、明白である。
「若い内時の苦労は買ってでもせよ」ともいう。
正直その時に買いたくはないが、振り返ると良かったといえる。
成長の度合いは、どれだけ挑戦したかということと同義である。
2014年2月3日月曜日
一生勉強
8の字・大縄のレポート希望を山ほどいただいた。
メルマガ発行は基本的に一方通行である。
なのでこの機会に本当に読んでくれている人がいると実感できて、とても嬉しい。
面白いことに、全く8の字や大縄の大会が無い学校の方からも結構希望があった。
それらの方々の共通点は「学びたい」というただ一点。
私がいつも教えていただく野口芳宏先生。
野口先生は、いつも学ばれている。
喜寿を迎え、尚も勉強中。
「一生勉強」を地でいっている。
喜寿の方が学んでいるのに、現職で「もう十分」ということは有り得ない。
(20代後半ぐらいで、「もう十分」の考えが頭をよぎったことがある。
学級経営等が少しばかりうまくいくようになった故の傲慢さ。
恥ずかしい限りである。)
最近読んだ本に、次のようなことが書いてあった。
人生には、四季がある。
二十代は春とかよく言われるが、あれは違う。
二十代は、冬。
様々な厳しさに耐えながら学ぶ時期。
三十代以降に春が訪れる。
(「栄光へのポールポジション」落合信彦著 小学館 より要約)
三十代で花開く人もいれば、四十代、五十代の人もいる。
いや、伊能忠敬のように六十代か七十代かもしれない。
いつ花開くかは、わからないが、種を蒔かねば花は咲かないと思う。
知れば知るほど、無知であることを知らされる。
だから、色んな人に「教えてください」と言える。
そういう人に、私もなりたい。
メルマガ発行は基本的に一方通行である。
なのでこの機会に本当に読んでくれている人がいると実感できて、とても嬉しい。
面白いことに、全く8の字や大縄の大会が無い学校の方からも結構希望があった。
それらの方々の共通点は「学びたい」というただ一点。
私がいつも教えていただく野口芳宏先生。
野口先生は、いつも学ばれている。
喜寿を迎え、尚も勉強中。
「一生勉強」を地でいっている。
喜寿の方が学んでいるのに、現職で「もう十分」ということは有り得ない。
(20代後半ぐらいで、「もう十分」の考えが頭をよぎったことがある。
学級経営等が少しばかりうまくいくようになった故の傲慢さ。
恥ずかしい限りである。)
最近読んだ本に、次のようなことが書いてあった。
人生には、四季がある。
二十代は春とかよく言われるが、あれは違う。
二十代は、冬。
様々な厳しさに耐えながら学ぶ時期。
三十代以降に春が訪れる。
(「栄光へのポールポジション」落合信彦著 小学館 より要約)
三十代で花開く人もいれば、四十代、五十代の人もいる。
いや、伊能忠敬のように六十代か七十代かもしれない。
いつ花開くかは、わからないが、種を蒔かねば花は咲かないと思う。
知れば知るほど、無知であることを知らされる。
だから、色んな人に「教えてください」と言える。
そういう人に、私もなりたい。
2014年2月1日土曜日
決断力は、スピード
ちょうど一ヶ月前、8の字跳びと大縄のレポートプレゼントを告知した。
告知早々数分でたくさんの方から御連絡を頂いた。
初めて登録された方だけでなく、元々の読者の皆様からも多く御連絡を頂いた。
一つわかったことは、読者の方々の決断のスピードの速さ。
読んで即決してメールされた方がかなりいたようである。
「いつかとおばけは見たことがない」という言葉がある。
もらったからといって報告義務等は全くないので、まだ欲しい方がいたら資料請求して欲しい。
どうせならたくさんの方々に見てもらって役立てていただけた方が、苦労が報われる。
「成功の女神はスピードを好む」という言葉もきいたことがある。
決断力とは、スピードそのものである。
告知早々数分でたくさんの方から御連絡を頂いた。
初めて登録された方だけでなく、元々の読者の皆様からも多く御連絡を頂いた。
一つわかったことは、読者の方々の決断のスピードの速さ。
読んで即決してメールされた方がかなりいたようである。
「いつかとおばけは見たことがない」という言葉がある。
もらったからといって報告義務等は全くないので、まだ欲しい方がいたら資料請求して欲しい。
どうせならたくさんの方々に見てもらって役立てていただけた方が、苦労が報われる。
「成功の女神はスピードを好む」という言葉もきいたことがある。
決断力とは、スピードそのものである。
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