2021年7月5日月曜日

一人の権利は全員の権利

 前号の続きで、学校現場における人権について。


次の映画の中の台詞からの学び。


「それでも夜は明ける」

https://eiga.com/movie/79401/


奴隷制度撤廃運動を続けた人物の物語である。

2014年のアカデミー賞受賞作品であり、観た人もいるかもしれない。


この作中では、黒人奴隷の人権が全く無視され、蹂躙されている。

奴隷は家畜と同様かそれ以下であり、むしろ人権という概念自体が与えられていない。

恐ろしい世界である。


作中で、ブラッドピット演じる人権意識のある数少ない白人が、次の台詞を言う。


「一人の権利は全員の権利」


そしてこれを「普遍の真理」とも述べている。


普遍の真理ということは、全ての場に通ずる大原則ということである。

ある一人の人に認められている権利は、他の全員にも認められているということである。


ただしこれは「万人が平等の権利」ということではない。

あくまでこの作中では、人間という立場での「人権」における権利ついて述べている。

人間という立場から見た人権に上下はない。


一方で、集団においての立場が別にある場合、人権は平等でも、その立場のもつ権利は同じではない。

船の中で船長とコックが同じ権利を有するようでは困る。

コックに行先を指示する権利はないし、船長には厨房で自由に指示を出す権利がない。


例えば教室は、立場の役割分担が明確にある。

最も明確な違いは、教師と児童生徒という二つである。


児童生徒に対し、指導の権利と義務を有するのは、教師のみである。

児童生徒同士は、その権利において平等である以上、誰も教師と同じ権利を有する者はいない。

例外は、会議中の司会の立場というように、部分的に違う役割を与えらえた場合のみである。


つまり、児童生徒には、他の児童生徒に指導する権利はない。

例え相手が間違った行為をしていても、指導も命令もできない。

これを勘違いしている子どもがいるから、トラブルになるのである。


子どもたちは、自分が今「正しい」ことをしていると思うと、そうでない人を注意する。

「正義」の立場にいるので、かなり強い言葉と態度で「こうしなさい」と言う。

しかし、自分がどんなに正しかろうと何だろうと、本来子どもにその権限はない。

指導権は、あくまで教師の権利である。


一方で、自分が誹謗中傷等を受けている、あるいは自らの学習に対する妨害行為があるのなら、相手に「やめろ」ということはできる。

これは指導しているのではなく、自分の権利を守っているだけである。

自分にも相手にも認められた権利である。

(これは、授業中立ち歩くこと自体は問題ないが、他の邪魔となる行為をしてはならないという話にも通じる。)


子どもを見る時には、全員の学習権を互いに奪われないという視点が大切になる。

だから教師は、すごくやる気がない子どもというのはある程度放っておけても、周りへの妨害行為は放っておけない。

成員全員の権利を守るのは、上の立場に置かせてもらっているものの責務だからである。


長くなったのでこれぐらいしておくが、この

「一人の権利は全員の権利」

という言葉は、至言である。


例えば「クラス会議」などは、この大原則をよく踏まえて行われている。

一人の意見を無下に捨て置かないことを求める。

そして何かを決定するのが難しいのも、ここによるといえる。


今後も、この言葉は意識していきたい。

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