二宮尊徳記念館での学びの続き。
農業と教育は、本当に関係が深いと思う。
どちらも、生き物を育てる仕事という点で共通である。
種を蒔く前の土作りが大切なのも同じ。
また、手間や時間がかかるのも同じ。
放っておいてもよく成長しない一方で、自然の力が必要なのも同じ。
無理矢理ひっぱったり、栄養をあげすぎたり、手をかけすぎたり、確認しすぎたりするとダメになるのも同じ。
「ほどほど」に手をかけ、後は自力で伸びるのを見守る必要がある。
特に、雑草の手入れは必須である。
放っておけば、自然の原理で必ず生える。何度でも生える。
一回完璧にがんばればいいというものでなく、継続的かつ定期的にやる必要がある。
ここも、教育との共通点である。
話はやや変わるが、ここで「星の王子様」の話を思い出した。
王子様の小さい星には、「バオバブ」の芽が生える。
バオバブは、放っておくと根を張ってどんどん大きくなり、やがて巨木となって星を丸ごと飲み込んでしまう。
だから、王子様の日常に雑草取りは欠かせない。
「死活問題」だからである。
教室においても、様々な「雑草」が生える。
「ちょっとしたすさみ」と言い換えてもいい。
放っておくと、後で取り返しがつかなくなる。
床にごみが落ちているとか、言葉づかいが気になるとかそういう「些細な」ことである。
これを、学級や学校の「死活問題」と捉えるかどうかが、一つの分かれ目という実感である。
(ただし、これを教師が直接指導するかどうかは、別問題である。)
日頃の手入れが大切である。
あとでまとめて処理しようとすると、とんでもなく苦労することになる。
夏場に伸び放題の雑草と格闘する羽目になるのは、春先にのんびりしていた報いといえる。
これは、学級開きから1ヶ月のスタートダッシュの大切さにもつながる。
そして秋や冬には生えにくくなるものの、定期的な手入れはやはり必要である。
日頃の雑草の手入れ。
実に地味である。
地味だからこそ、徹底して継続的にやる。
「そんな細かいこと」と言われるかもしれない。
「神は細部に宿り給ふ」という。
大きく派手なことに目を奪われて、小さく地味なことを見落としていないか再点検したい。
2015年4月13日月曜日
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