子どもの「できない」の原因を考える。
先日、体育の表現運動として、フォークダンスの指導をした。
「ジェンカ」「タタロチカ」といった、キャンプファイヤーでもよく使われる踊りである。
学習指導要領上でも1,2年生の運動の例示として挙げられている。
まあ、言うなれば「簡単な踊り」である。
これが、低学年だと、思いの外うまくできない。
覚えていないだけだと思って、何回かやるが、やはりできない子どもがかなりいる。
原因を見てみると、まず、リズムがとれないのである。
思い返しててみると、音楽の授業でも、2拍のリズム打ちができていなかった。
根本的に、リズム感が十分に身に付いていないのである。
踊りの指導以前の問題である。
もう少し深く突っ込んでいくと、なぜリズム感が身に付いていないのか、ということになる。
最も考えられるのは、単なる経験不足。
これまでにリズムに乗って体を動かすような経験が少なかった可能性が考えられる。
しかし、別のもっと根本的な原因もありうる。
聴覚的な問題かもしれないし、手足の協応動作の問題かもしれない。
とにかくその場合、直接的に踊りを直そうと指導してもダメということである。
根性論でいくと悪化する可能性もある。
同じようなことは、例えば、算数の授業や漢字などにも当てはまる。
長くなるので、次回に続く。
2014年9月27日土曜日
外の視点をいただく
自分では、当たり前のようにやっていて、普通ではないことがある。
誰しもある。
例えば先日、同僚の一人の方は、理科の実験用具を作っていた。
ホームセンターで材料を購入して、トンカンやりながら楽しそうに放課後作っている。
この先生にとっては当たり前の風景である。
しかし私のように図工の苦手な人間には、結構腰が重くなってしまう作業である。
誰しも自分にとっては普通にやっていることがあって、そこが当たり前になっていることがある。
無意識にやっていることは、周りの人に聞かれないと、気付かない。
教室に実習生がいたりすると、新鮮な視点には事欠かない。
色々と質問される。
質問されて、「なるほど、なぜだろう」と新たな視点をもらえる。
先日は、大学生の方々にインタビューのようなものを受けた。
授業で心がけていることなどをきかれた。
尋ねられると、初めて考える。
言われてみると、色々意図しながらやっていることに気付く。
やはり、人様に見てもらったり、聞いてもらったりすることが大切である。
「外の視点」を時々いただくようにしたい。
誰しもある。
例えば先日、同僚の一人の方は、理科の実験用具を作っていた。
ホームセンターで材料を購入して、トンカンやりながら楽しそうに放課後作っている。
この先生にとっては当たり前の風景である。
しかし私のように図工の苦手な人間には、結構腰が重くなってしまう作業である。
誰しも自分にとっては普通にやっていることがあって、そこが当たり前になっていることがある。
無意識にやっていることは、周りの人に聞かれないと、気付かない。
教室に実習生がいたりすると、新鮮な視点には事欠かない。
色々と質問される。
質問されて、「なるほど、なぜだろう」と新たな視点をもらえる。
先日は、大学生の方々にインタビューのようなものを受けた。
授業で心がけていることなどをきかれた。
尋ねられると、初めて考える。
言われてみると、色々意図しながらやっていることに気付く。
やはり、人様に見てもらったり、聞いてもらったりすることが大切である。
「外の視点」を時々いただくようにしたい。
2014年9月25日木曜日
授業に楽しさは必要か
低学年を持ってから、「楽しい活動」を取り入れる率が高くなった。
途中に作業をはさんだり、笑いを入れたりすることが多い。
無意識だったが、確実に高学年の時より多くなっている。
考えてみると、理由は一つ。
子どもの集中力が続かないからである。
高学年の子どもなら「やるべき理由」があれば動けることが多い。
勉強は必要と思えば、多少の苦があっても頑張ってくれる。
「○○しよう」「○○しない」という指導一つとっても、高学年なら理由の説明が重要である。
事前指導が大きな鍵である。
しかし、低学年は「雰囲気」重視である。
あまり深く考えず、何となく楽しそうならやる傾向がある。
そして、楽しければ延々とやる。
逆に、興味がないと全く動かない。
「やるべきこと」に集中させるために、「楽しい感じ」は大きな力になる。
つまり、楽しさは手段である。
楽しい授業がいいのではなく、楽しいと活動に集中するという効果がねらえる。
そして、授業の本質は学力形成。
「楽しいけれど学力はつかない」「活動あって学び無し」では、目的から外れる。
「楽しくはないが学力がついた、できるようになった」ならば、目的は達成である。
しかし、これは現実的に難しく、長続きしない。
やはり「楽しく力がつく」が理想型である。
一般企業のよく売れている通信教材などは、この辺りの工夫がすごい。
商売として成り立っているだけある。
今の子どもは、一昔前に比べて、集中力がないという。
我慢もきかないという。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、そこを責めても、相手は変わってくれない。
授業をする側が工夫をして、授業を変えていく。
解決策は、主体変容に尽きる。
楽しさは、集中力を続かせるための手段である。
一方で楽しさは、「学校に来たい」というエネルギーを生み出す源でもある。
楽しく、学力のつく授業を目指したい。
途中に作業をはさんだり、笑いを入れたりすることが多い。
無意識だったが、確実に高学年の時より多くなっている。
考えてみると、理由は一つ。
子どもの集中力が続かないからである。
高学年の子どもなら「やるべき理由」があれば動けることが多い。
勉強は必要と思えば、多少の苦があっても頑張ってくれる。
「○○しよう」「○○しない」という指導一つとっても、高学年なら理由の説明が重要である。
事前指導が大きな鍵である。
しかし、低学年は「雰囲気」重視である。
あまり深く考えず、何となく楽しそうならやる傾向がある。
そして、楽しければ延々とやる。
逆に、興味がないと全く動かない。
「やるべきこと」に集中させるために、「楽しい感じ」は大きな力になる。
つまり、楽しさは手段である。
楽しい授業がいいのではなく、楽しいと活動に集中するという効果がねらえる。
そして、授業の本質は学力形成。
「楽しいけれど学力はつかない」「活動あって学び無し」では、目的から外れる。
「楽しくはないが学力がついた、できるようになった」ならば、目的は達成である。
しかし、これは現実的に難しく、長続きしない。
やはり「楽しく力がつく」が理想型である。
一般企業のよく売れている通信教材などは、この辺りの工夫がすごい。
商売として成り立っているだけある。
今の子どもは、一昔前に比べて、集中力がないという。
我慢もきかないという。
確かにそうなのかもしれない。
しかし、そこを責めても、相手は変わってくれない。
授業をする側が工夫をして、授業を変えていく。
解決策は、主体変容に尽きる。
楽しさは、集中力を続かせるための手段である。
一方で楽しさは、「学校に来たい」というエネルギーを生み出す源でもある。
楽しく、学力のつく授業を目指したい。
2014年9月23日火曜日
「やる気スイッチ押してみよう!」
今回は宣伝です。
「やる気スイッチ押してみよう!元気で前向き、頑張るクラスづくり」
飯村友和・松尾英明著 明治図書
とっても売れ行きがよろしいようです。
皆様のお陰です。
ありがとうございます。
教育書が置いてあるような大手書店にはあります。
立ち読みで結構ですのでぜひ一度手にとって読んでみてください。
オンラインで立ち読みもできます。
明治図書オンライン↓
http://www.meijitosho.co.jp/detail/4-18-164614-1
アマゾン↓
http://www.amazon.co.jp/dp/4181646149/ref=zg_bs_tab_pd_bsnr_2
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立ち読みで結構ですのでぜひ一度手にとって読んでみてください。
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2014年9月22日月曜日
空気を温めるのは表情
休み明け。
身体が重いのは大人だけではない。
生活リズムが元に戻るまで時間がかかる。
夏休み中に早起きを続けていようが、通常の勤務はやはり圧倒的に疲れる。
子どもも同様である。
しかし、どんより空気で進むのは良くない。
心が重いから体が重いのか。
体が重いから心が重いのか。
心と体はどちらが先かというと、相互関係である。
しかしながら、意思でコントロールできるのは、体の方である。
「ペンフィールドのホムンクルス」というものがある。
大脳の運動野と感覚野のどの部分が体のどこと繋がっているかを図示したものである。
その大部分が、顔、特に表情筋に使われるという。
つまり、表情を変えることで、脳に刺激を与えられる。
良い表情が、良い心理状態を作り出す。
ここを押さえる。
「鏡の法則」で、まずは教師の側が笑顔を心がける。
さらに「笑顔リレー」などの実践で、子どもの表情筋を動かす。
(「ニン!」と言いいながら、笑顔をクラス全員でリレーしていく実践。)
楽しい話で笑わせられたらなおいい。
笑わせること自体は目的ではなく、あくまで手段である。
良い空気作りが、良い授業、良い学級経営につながる。
表情一つ、できるところから心がけたい。
身体が重いのは大人だけではない。
生活リズムが元に戻るまで時間がかかる。
夏休み中に早起きを続けていようが、通常の勤務はやはり圧倒的に疲れる。
子どもも同様である。
しかし、どんより空気で進むのは良くない。
心が重いから体が重いのか。
体が重いから心が重いのか。
心と体はどちらが先かというと、相互関係である。
しかしながら、意思でコントロールできるのは、体の方である。
「ペンフィールドのホムンクルス」というものがある。
大脳の運動野と感覚野のどの部分が体のどこと繋がっているかを図示したものである。
その大部分が、顔、特に表情筋に使われるという。
つまり、表情を変えることで、脳に刺激を与えられる。
良い表情が、良い心理状態を作り出す。
ここを押さえる。
「鏡の法則」で、まずは教師の側が笑顔を心がける。
さらに「笑顔リレー」などの実践で、子どもの表情筋を動かす。
(「ニン!」と言いいながら、笑顔をクラス全員でリレーしていく実践。)
楽しい話で笑わせられたらなおいい。
笑わせること自体は目的ではなく、あくまで手段である。
良い空気作りが、良い授業、良い学級経営につながる。
表情一つ、できるところから心がけたい。
2014年9月19日金曜日
朋あり遠方より来る、また楽しからずや
またメルマガ上と時期がずれてしまうが、夏休み明けの記事。
夏休み明け、2学期初日。
やることはたくさんある。
子どもたちと久しぶりに会う。
何を最も大切にするか。
何にもっとも力を入れるか。
人によって違うが、自分なら「感謝と喜び」を伝えることを最重要視する。
兎にも角にも、重い身体を引きずって学校に来た。
普段の生活がしんどい子ほど、来るだけでもがんばっている。
来て顔を見られただけで、こんなに有難いことはない。
実際は、学校があるから来たに過ぎないだろうが、それでも来たこと自体が素晴らしい。
私の尊敬する野口芳宏先生は、講演をすると冒頭に必ず感謝の念を述べる。
論語の「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」だという。
わざわざ会いに来てくださることほど有難いことはないという。
講演の後に片付けをした後でも、もうその場にいない人への感謝の言葉を延々と口にしている。
本当に嬉しいようである。
「知恩・感恩・謝恩・報恩」の、気付きの力であると思う。
前号で書いたように、宿題忘れもいるかもしれないが、それでもよい。
最悪「宿題をやっていないから休んだ」という事態だって考えられる。
来てくれただけで、花丸。
子どもがいるから「先生」でいられる。
いつでも休み明けは、久しぶりに出会えた感謝と喜びを伝えたい。
夏休み明け、2学期初日。
やることはたくさんある。
子どもたちと久しぶりに会う。
何を最も大切にするか。
何にもっとも力を入れるか。
人によって違うが、自分なら「感謝と喜び」を伝えることを最重要視する。
兎にも角にも、重い身体を引きずって学校に来た。
普段の生活がしんどい子ほど、来るだけでもがんばっている。
来て顔を見られただけで、こんなに有難いことはない。
実際は、学校があるから来たに過ぎないだろうが、それでも来たこと自体が素晴らしい。
私の尊敬する野口芳宏先生は、講演をすると冒頭に必ず感謝の念を述べる。
論語の「朋あり遠方より来る、また楽しからずや」だという。
わざわざ会いに来てくださることほど有難いことはないという。
講演の後に片付けをした後でも、もうその場にいない人への感謝の言葉を延々と口にしている。
本当に嬉しいようである。
「知恩・感恩・謝恩・報恩」の、気付きの力であると思う。
前号で書いたように、宿題忘れもいるかもしれないが、それでもよい。
最悪「宿題をやっていないから休んだ」という事態だって考えられる。
来てくれただけで、花丸。
子どもがいるから「先生」でいられる。
いつでも休み明けは、久しぶりに出会えた感謝と喜びを伝えたい。
2014年9月15日月曜日
夏休みの宿題のねらいは何か
前号の続き。
夏休みの宿題のねらいは何か。
本来は「生活習慣の形成」であると思う。
前号に書いた「ダラダラ防止」である。
これには、日記のような、日々やらないといけない課題が適切である。
毎日コツコツ続けることで、学校がある日に近い理想的な学習習慣をねらう。
(しかし、大抵ねらいが達成されないのも、この課題の持つ問題点である。)
自由研究や工作の場合はどうか。
「長期休みならではの豊かな体験・継続的な活動」
「創造性を育む」
「自由な表現の場」
というあたりでないかと思われる。
本来の目的とは別に、自由研究や工作を「親子のふれあいの場」とも捉えられる。
正直、低学年の子どもが自力で全てやるのは難しい。
「海の生き物を調べたい」となれば、海に連れて行く必要が出る。
写真を撮ったりプリントしたりも手伝う。
まとめ方や書き方も、一緒にアドバイスしながらやる。
本来は「全部自分でやらせればいい」と思うが、理想論であって現実的でない。
授業で算数の問題を解く時と同じである。
自力でどんなに考えたって、わからないものはわからない。
「自律と自立」が基本なので、自力でやれることは極力手を出さないが、やれないことは手伝う。
親と子どもが協力する場となる。
逆に考えると、親が協力できない環境にある子どもには、本当に厳しい課題となる。
どこにも連れて行ってもらえない子どももいるかもしれない。
一緒に課題をやれない家庭もあるかもしれない。
たくましい子どもや要領のいい子どもなら、それでも何とか終わらせるだろう。
可哀想なのは、そうでない子どもたちである。
そういう子どもにとっては、どうしたらいいのかわからないまま、夏休みが終わることとなる。
始業式、夏休みの課題をたくさんの子どもが持ってくる。
中に、忘れる子どももいる。
担任として「忘れました」ならまだしも「やってません」は、「1ヶ月もあったのに!?」と思う。
ここで、一呼吸。
家庭環境に思いを馳せることが一つ。
もう一つは、我が身を振り返ること。
自分自身「夏期休業中にやるべきことは完璧にやれました」と胸をはって言えるか。
自律の力が高い(はずの)大人にだって難しい。
どう対応するか、マニュアルは無い。
ここは子どもによって、多少違いが出る。
ただし芯は「育てる」ことである。
宿題忘れを、予想しておく。
忘れたら、「想定内」の対応。
もし持ってきたら、めちゃくちゃ褒める。
2学期をお互い気持ち良く過ごすために、こんな作戦でいってみた。
(結果、最終的に全員きちんと課題提出が完了し、めでたしめでたし。)
夏休みの宿題のねらいは何か。
本来は「生活習慣の形成」であると思う。
前号に書いた「ダラダラ防止」である。
これには、日記のような、日々やらないといけない課題が適切である。
毎日コツコツ続けることで、学校がある日に近い理想的な学習習慣をねらう。
(しかし、大抵ねらいが達成されないのも、この課題の持つ問題点である。)
自由研究や工作の場合はどうか。
「長期休みならではの豊かな体験・継続的な活動」
「創造性を育む」
「自由な表現の場」
というあたりでないかと思われる。
本来の目的とは別に、自由研究や工作を「親子のふれあいの場」とも捉えられる。
正直、低学年の子どもが自力で全てやるのは難しい。
「海の生き物を調べたい」となれば、海に連れて行く必要が出る。
写真を撮ったりプリントしたりも手伝う。
まとめ方や書き方も、一緒にアドバイスしながらやる。
本来は「全部自分でやらせればいい」と思うが、理想論であって現実的でない。
授業で算数の問題を解く時と同じである。
自力でどんなに考えたって、わからないものはわからない。
「自律と自立」が基本なので、自力でやれることは極力手を出さないが、やれないことは手伝う。
親と子どもが協力する場となる。
逆に考えると、親が協力できない環境にある子どもには、本当に厳しい課題となる。
どこにも連れて行ってもらえない子どももいるかもしれない。
一緒に課題をやれない家庭もあるかもしれない。
たくましい子どもや要領のいい子どもなら、それでも何とか終わらせるだろう。
可哀想なのは、そうでない子どもたちである。
そういう子どもにとっては、どうしたらいいのかわからないまま、夏休みが終わることとなる。
始業式、夏休みの課題をたくさんの子どもが持ってくる。
中に、忘れる子どももいる。
担任として「忘れました」ならまだしも「やってません」は、「1ヶ月もあったのに!?」と思う。
ここで、一呼吸。
家庭環境に思いを馳せることが一つ。
もう一つは、我が身を振り返ること。
自分自身「夏期休業中にやるべきことは完璧にやれました」と胸をはって言えるか。
自律の力が高い(はずの)大人にだって難しい。
どう対応するか、マニュアルは無い。
ここは子どもによって、多少違いが出る。
ただし芯は「育てる」ことである。
宿題忘れを、予想しておく。
忘れたら、「想定内」の対応。
もし持ってきたら、めちゃくちゃ褒める。
2学期をお互い気持ち良く過ごすために、こんな作戦でいってみた。
(結果、最終的に全員きちんと課題提出が完了し、めでたしめでたし。)
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