研究結果における、相関と要因の話の続き。
Xを変えることでYに影響を与える場合、XとYには相関があるという。
ただし、多くの研究において、XそのものがYに影響を与えている要因といえるかどうかは、この時点で判明しない。
前号では、ここまで書いた。
逆に言えば、教育効果に関するニュースは、かなり疑ってみた方がいい。
「家で〇〇をしている子どもは学力が高い」
「○○をすると落ち着きのない子どもになる」
等々、世間に流布されている情報は、相関と要因がごっちゃになっている。
出す側はセンセーショナルに書きたてたいから、わざとそのように大袈裟に書く。
それらに確かに相関はあるが、要因がそれそのものとは限らないのである。
データはデータとして、それで正しいのである。
例えば有名なところだと、以前に文科省が調査した「親の年収が高いと学力が高い」という報告結果がある。
まず前提として、平均はあくまで平均であるため全員がそうではなく、かつ平均の妥当性も認められている点である。
つまり、親の年収が高いが学力がとても低い、あるいはその逆パターンもあるが、その数は少ないということである。
ずっと以前も紹介した『学力の経済学』(中室牧子著)で、この点については詳細に述べられている通りである。
この本の中に『東大生の親の平均年収は約「1000万円」』という項目がある。
ここのデータからわかることは
X「親の平均年収が高い」とY「東大生」に相関がある
という点だけである。
また最近話題になったものだと、全国学力・学習状況調査の結果で
「家に本が多い家庭の子どもほど平均正答率が高くなる」
というものが挙げられた。
ここの
X「家の本の数」とY「平均正答率」
も、あくまで相関があるというだけにとどまる。
これを「要因」と早合点して誤解し
「家の本の数を増やせば子どものテストの点が上がる!」
と考えた人がいるとする。
もしそれを信じているならば、その人がすべきことは、子どもの学力調査までにひたすら家の本の数を増やすことである。
結果はどうなるか。
当然、それだけでは何も変わらないはずである。
「家の本の数」の裏に秘められた要素を探り、そこからテスト正答率との直接要因を特定していく作業が必要である。
「家の本の数が多い」というのは、いかなる要素を含むのか。
また逆に「家の本の数が少ない」というのは、いかなる要素を含むのか。
考えられるだけでもたくさんある。
・親あるいは子どもが読書好き
・親あるいは子どもが勉強家
・家庭内が、誰でもいつでも本が読める環境にある
・親あるいは子どもの知的好奇心が旺盛
・家庭に経済的な余裕がある
・大きな本棚を置くスペースがある
・親の教育への関心が高く、通塾率が高い
・・・
まだまだ色々あるが、これらから予想される要因は、本そのものというよりも「親」や「家庭環境」の中にありそうである。
ここで調べられる学力はテストの点数である以上、塾や通信教材を用いた家庭教育における学習量は影響が大きいはずである。
つまり、色々推測できる要素が多すぎて、これだけでは何が要因なのだか、さっぱりわからない。
それらを一つずつ特定して調べていく作業が、研究である。
気の遠くなるような作業である。
現場で教員をやりながら研究することの難しさはここにもある。
ただ一つ現時点での事実は
「家に本が多い家庭の子どもほど平均正答率が高かった」
というデータの結果だけである。
成功にも失敗にも、様々な要因が絡む。
「たまたま」上手くいっただけかもしれない特殊な事例を取り上げて「これで大成功!」とはいかない。
例えば「ほめてはいけない」論も「叱ってはいけない」論も、どういう状況でどんな子ども相手なのかに左右される。
結果の要因として特定するには、他のあらゆる要素を除外しないと、そうだと言い切れない。
親自身の子ども時代の成功事例を、自分の子どもに当てはめて成功できるかどうかは、別問題である。
(そもそも親と子では時代背景が全く違うため、条件が揃わない。)
誰かがたまたまどこかで上手くいった子育てメソッドのようなものもそうである。
宝くじでたまたま三億円当てる人が世の中に必ずいるが、その人と同じ売り場で同じように買っても当たる訳ではない。
失敗について考える場合も同じである。
要は、データはあくまでデータとして見ること。
きちんと多くのデータから平均値をとったものであっても、要因自体は簡単には特定できない。
たまたまそうなった特殊な一事例については、単純に一般化することができない。
センセーショナルな見出しには特に注意である。
二つの事柄に相関があっても、それを要因と早合点しない視点を常にもつことが大切である。
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