だいぶ長い間ひっぱっているが、小学館セミナーでの学び。
いいものは広めるべきなのでシェア。
メイン講師の一人、菊池省三先生の言葉。
「これやっときゃ大丈夫」は、ない。
それがもしあるなら、戦後何十年でとっくに発見されているはず、ということである。
菊池省三先生といえば「ほめ言葉のシャワー」が有名だが、その人が言うのだから、説得力がある。
(私も同じことを何度も言っているが、やはりそこは実践の長さと深さの差である。説得力が違う。)
自身の実践が広まってくるほど、誠実さをもって強調したくなる言葉であると思う。
うまくいっている人の話だとか、著名な先生の言うことだと、鵜呑みにしすぎてしまうことがある。
「鵜呑み」とは読んで字の如く、鵜がするように対象を噛まずに丸呑みすること。
「よく理解せずに受け入れること」の比喩である。
何度も言っているが、「ほめ言葉のシャワー」は、すごい。
ただし、菊池実践は、相当に深い。
そこだけ真似しても、全く形にならない。
「ほめ言葉のシャワー」が菊池実践のシンボルとして広まっているだけである。
本当にやるなら「菊池道場」等に入るなり、菊池実践の本を何十冊も読んだりセミナーに出かけたりして、深める必要がある。
学級経営において、「鉄板」の手など、ない。
千手観音よろしく、多くの手をもつことである。
千手観音が多くの手をもつのは、どのような生命をも漏らさず救済しようとすることからであるという。
こちらは神様ではないので、すべてを救うことは難しいかもしれないが、最低でも学級の子どもの人数分の手は必要になる。
だから「これやっときゃ」がない以上、たくさんの手法を学んでもつしかない。
「意図的な経験」を意識して何十年もやっている、本物のベテラン教員の方が、若手より対応の幅が広い理由である。
時代が激変しようがそうでなかろうが、教える立場にある以上、一生学び続けるしかない。
私の尊敬する野口芳宏先生は齢八十を越え、未だ学び続けている。
だからこそ、多くの人の尊敬を集め、教えをこう人が絶えないのだと思う。
「これやっときゃ大丈夫」は、ない。
人前に立つときは、緊張感をもって準備をし、その上で楽観的に目の前の事に当たりたい。
2017年6月14日水曜日
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