2015年7月3日金曜日

同じ人間として対等にみる

「子どもはやがて大人になる」
こういう見方をすると、普段の接し方も変わってくる。
同じ人間として対等に接する意識になる。
年齢や立場に上下や違いはあれど、それは人間としての上下ではないという見方になる。

そうすると、ほめることが減る。
「?」と思った人もいるかもしれないが、「ほめる」という行為は、原則として上下関係がある。
(アドラー心理学の考え方で、以前何度か書いた。)
上の立場の人が下の立場の人に対して「ほめる」を行う。
「よくできました」「上手」「がんばりましたね」。
どれも、恐らく職場の上司や年長者に対して言うことはないと思う。
ほめるという行為は、上から下への報酬の一種である。
(これ自体は意味のあることだが、子どもが報酬のために行動するようになると、何かと不都合が生じる。)

人間として対等という観点で見ると、ほめるというより感嘆する、感謝することが増える。
「すごい」や「ありがとう」「嬉しい」という言葉が増える。

例えば、仮に子どもが漢字テストで100点を取ったとする。
「よくできました」と言われたら子どもは嬉しい。
しかしこれを、対等の観点で伝えると、
「自分の子どもの頃は漢字100点なんてなかったなぁ・・・(遠い目)。すごい・・・。」
というようになる。(実話。)

別の例で掃除であれば
「真面目にやってるね。あなたはえらいね。」
というところを
「真面目に掃除をやってるね。あなたがいてくれて助かる。」
となる。

これがいいのかどうかは、知らない。
ただ、本当にそういう風に感じて伝えることが多い。

また、この人間として対等に見て接するということは、指導をしないということとは違う。
教育が仕事である。
育つように教えるべきは教える。
特にマナーのようなことは、子どもは経験上知らないのできちんと伝える必要がある。
ダメなことをダメときっちり叱るのも、一人の対等な人間として認めているからこそである。
人間以外の動物にマナーや倫理を伝えようとしないのは「馬の耳に念仏」だからである。
(人間であっても、そういうことがあるので、伝えないことはある。)

子どもは子どもである。
しかしながら、子どもは大人になる人間である。

当たり前だが、そんなことが結構大事なのではないかと思う。

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