「子どもはやがて大人になる」
こういう見方をすると、普段の接し方も変わってくる。
同じ人間として対等に接する意識になる。
年齢や立場に上下や違いはあれど、それは人間としての上下ではないという見方になる。
そうすると、ほめることが減る。
「?」と思った人もいるかもしれないが、「ほめる」という行為は、原則として上下関係がある。
(アドラー心理学の考え方で、以前何度か書いた。)
上の立場の人が下の立場の人に対して「ほめる」を行う。
「よくできました」「上手」「がんばりましたね」。
どれも、恐らく職場の上司や年長者に対して言うことはないと思う。
ほめるという行為は、上から下への報酬の一種である。
(これ自体は意味のあることだが、子どもが報酬のために行動するようになると、何かと不都合が生じる。)
人間として対等という観点で見ると、ほめるというより感嘆する、感謝することが増える。
「すごい」や「ありがとう」「嬉しい」という言葉が増える。
例えば、仮に子どもが漢字テストで100点を取ったとする。
「よくできました」と言われたら子どもは嬉しい。
しかしこれを、対等の観点で伝えると、
「自分の子どもの頃は漢字100点なんてなかったなぁ・・・(遠い目)。すごい・・・。」
というようになる。(実話。)
別の例で掃除であれば
「真面目にやってるね。あなたはえらいね。」
というところを
「真面目に掃除をやってるね。あなたがいてくれて助かる。」
となる。
これがいいのかどうかは、知らない。
ただ、本当にそういう風に感じて伝えることが多い。
また、この人間として対等に見て接するということは、指導をしないということとは違う。
教育が仕事である。
育つように教えるべきは教える。
特にマナーのようなことは、子どもは経験上知らないのできちんと伝える必要がある。
ダメなことをダメときっちり叱るのも、一人の対等な人間として認めているからこそである。
人間以外の動物にマナーや倫理を伝えようとしないのは「馬の耳に念仏」だからである。
(人間であっても、そういうことがあるので、伝えないことはある。)
子どもは子どもである。
しかしながら、子どもは大人になる人間である。
当たり前だが、そんなことが結構大事なのではないかと思う。
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