「忙しい」を使わないようにしようという話を少し前に書いた。
ちょうど先日出席した会で、野口芳宏氏が似たようなことを話されていた。
「暇というのは、誰にも相手にされなくなった状態のこと。」
確かに、やることがなくなれば、暇になる。
やることがないということは、仕事の依頼がないということだ。
だから、仕事ができる人ほど、仕事がたくさん来る。
真面目に仕事をしている限りは、やることは永遠になくならない。
それは、ある意味、幸せなことだと言える。
本当に暇になりたければ、仕事を辞めればいい。
日本なら、仕事を辞めても、餓死することはない。
生きていくことはできる。
仕事をすることも、自分が望んで選択していることのはずである。
(特に教師は、わざわざ試験を受けてまで掴んだ仕事である。)
暇がないと言っているなら、それは感謝すべきことかもしれない。
暇が欲しいと言っている人は、実はやりたいことが他にもあるだけである。
暇がない中でやればいいことである。
何事も、見方、考え方次第である。
2011年8月8日月曜日
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