子ども達に問う。
「このテストって、誰にテストされているの?」
普通に考えると「先生」と答えてくる。
他には?と問う。
「テストを作った人」と返ってくる。
それもそうだ。
他には?と詰める。
やがて「自分」という答えが返ってくる。
テストをやる時、実は自分自身にテストされている。
「お前はどれだけがんばったんだ」と。
受験の時、隣のクラスの頭がいい奴が一緒の学校を受けるからって、びびる必要はない。
結局は、自分自身に勝てるかどうか、この一点に尽きる。
そしてこれは、教師の側からも、同じである。
「お前はどれだけ全員に力をつけたんだ」と。
子どもをテストしているようで、実は教師自身がテストされている。
できない子どもを嘆きたくなるが、結局は自分自身の指導力の無さの露呈である。
この現実に真正面に向き合うことでしか、授業力の向上はあり得ないと考える。
2011年7月11日月曜日
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