メルマガ上で6月の記事。
毎年書くのも何だが、6月は病気の多い時期である。
教員だけでなく、社会全般で5月と6月に病休に入る人が多いというデータがある。
働けるのは有り難いことだが、身体をこわしてしまうのは避けたい。
残業も積み重なると、後に響く。
残業は、仕事が終わらないからやる。
無理矢理させられている人は割合としては少ないと思う。
がんばってるのに、何か虚しく感じることもある。
はたを楽にさせるから、はたらくという。
喜んでもらえることで、自分も仕事を楽しめる。
これが、がんばってるのに認めてもらえないとなると、しんどい。
しかし、以前書いた通り、ちょっとやそっとではほめられない、認められないのが大人の社会である。
よく周りを見てみると、自分よりもがんばってる人がいる。
特に面倒なことを進んでやってくれている人がいる。
認めてもらえない自分は、その人に声をかけているか。
余裕がなくなって、自分だけになっていないか。
はたを楽にしてくれている人に、感謝が足りないことに気づく。
周りに目を向けると、感じ方も変わるかもしれない。
自分が楽をさせてもらっていることに気付くと、元気が出る。
倒れそうな時は、目を上げて周りを見てみたい。
2015年7月18日土曜日
2015年7月16日木曜日
叱ることについて
未来のゴールを見据えて現在のなすべきことを考える。
叱りすぎて子どもが将来自信をなくしていたら失敗である。
一方で、良くない行為も叱られずに過ごして大きくなっても、ここに問題が残る。
社会に出たら、結局叱られるのである。
褒められることの方が圧倒的に少ない。
みんな、そんな余裕はないのである。
びしばしやられないで、見切られることもある。
(その意味で、部活動で時折見られる理不尽なほどの上下関係は、社会のトレーニングになっているかもしれない。)
叱らない教育は、精神衛生上よい。
これをベースにやれたらいい。
ただ、他人に迷惑をかける行為やマナー、モラルに欠く行為は、遠慮なく叱る。
一度目は教えても、二度目、三度目となれば話は別である。
叱ることは、辛い気持ちになる。
叱った後に、自分が嫌になることも多い。
それで自分がダメだと思ったりして悩む人もいる。
ほめるのがいいという記事を読んだりや話をきくと、凹む人もいる。
実際は、ほめることと同じくらい、叱ることも大切である。
どちらも、程度の問題である。
少なくとも、社会では叱られる機会の方が多い。
ほめることを多くしようとして、たくさん叱ってしまう。
それぐらいのバランスで、実社会に向けてはちょうどいいのではないかと思う。
叱りすぎて子どもが将来自信をなくしていたら失敗である。
一方で、良くない行為も叱られずに過ごして大きくなっても、ここに問題が残る。
社会に出たら、結局叱られるのである。
褒められることの方が圧倒的に少ない。
みんな、そんな余裕はないのである。
びしばしやられないで、見切られることもある。
(その意味で、部活動で時折見られる理不尽なほどの上下関係は、社会のトレーニングになっているかもしれない。)
叱らない教育は、精神衛生上よい。
これをベースにやれたらいい。
ただ、他人に迷惑をかける行為やマナー、モラルに欠く行為は、遠慮なく叱る。
一度目は教えても、二度目、三度目となれば話は別である。
叱ることは、辛い気持ちになる。
叱った後に、自分が嫌になることも多い。
それで自分がダメだと思ったりして悩む人もいる。
ほめるのがいいという記事を読んだりや話をきくと、凹む人もいる。
実際は、ほめることと同じくらい、叱ることも大切である。
どちらも、程度の問題である。
少なくとも、社会では叱られる機会の方が多い。
ほめることを多くしようとして、たくさん叱ってしまう。
それぐらいのバランスで、実社会に向けてはちょうどいいのではないかと思う。
2015年7月9日木曜日
仕事術 メモ&次年度の文書作成
たまには仕事術の話。
私は、メモをよくとる。
メモ魔というほどでもないが、かなりメモをする。
付箋は大活躍である。
本を読んでも話を聞いても歩いていても、とにかく気付いたことは付箋にメモをとる。
(このメルマガネタも、付箋の気付きメモから生まれているものがかなり多い。)
さて、メモで大切なものの一つが、自分の校務分掌のメモ。
例えば運動会の提案をして職員会議で通る。
通った後になって、あれが必要、これも必要と気付き、色々と追加連絡が出る。
その場では何とか凌ぐが、来年度も確実に同じことが起きる。
(特に、提案にないのに協力的な人の義理人情で何とかしている部分については、確実に改善が必要である。
義理人情に頼るのは、本当のピンチの際の最終手段にとっておきたい。)
どうするか。
その都度、来年度に備えて、提案文書のデータに書き加える。
ただ、これは結構面倒である。
そこで、メモの出番である。
とりあえず紙でも何でもメモしておく。
そして、ワードなどで「運動会メモ」などというファイルを作り、つれづれ書いていく。
形式とかは気にしない。
書く場所も順番も気にしない。
とにかく、書いておく。
それで、行事が終わった後に、反省をまとめる際、このメモも見返す。
反省には出なかったものの、主担当の自分には気付いていた点がある。
それで、次年度の仮の提案文書(異動があるため、人名部分はいじらない)を作る。
そこまでやって、今年度のその行事の仕事は一区切りついて終わりである。
一手間、いや、結構な手間だが、次年度も自分がやると思った時の労力を考えると、かなりのコスト節約である。
新しくその分掌担当になった人も楽である。
来年度の見通しももてて、その行事も今年度よりうまくいくはずである。
(経験上、最もうまくいかないのが、見通しの悪い時である。つまり、異動したての年である。)
割とやっている人も多いことだと思うが、そんなことももしかしたら役に立つかと思い、僭越ながら紹介してみた。
私は、メモをよくとる。
メモ魔というほどでもないが、かなりメモをする。
付箋は大活躍である。
本を読んでも話を聞いても歩いていても、とにかく気付いたことは付箋にメモをとる。
(このメルマガネタも、付箋の気付きメモから生まれているものがかなり多い。)
さて、メモで大切なものの一つが、自分の校務分掌のメモ。
例えば運動会の提案をして職員会議で通る。
通った後になって、あれが必要、これも必要と気付き、色々と追加連絡が出る。
その場では何とか凌ぐが、来年度も確実に同じことが起きる。
(特に、提案にないのに協力的な人の義理人情で何とかしている部分については、確実に改善が必要である。
義理人情に頼るのは、本当のピンチの際の最終手段にとっておきたい。)
どうするか。
その都度、来年度に備えて、提案文書のデータに書き加える。
ただ、これは結構面倒である。
そこで、メモの出番である。
とりあえず紙でも何でもメモしておく。
そして、ワードなどで「運動会メモ」などというファイルを作り、つれづれ書いていく。
形式とかは気にしない。
書く場所も順番も気にしない。
とにかく、書いておく。
それで、行事が終わった後に、反省をまとめる際、このメモも見返す。
反省には出なかったものの、主担当の自分には気付いていた点がある。
それで、次年度の仮の提案文書(異動があるため、人名部分はいじらない)を作る。
そこまでやって、今年度のその行事の仕事は一区切りついて終わりである。
一手間、いや、結構な手間だが、次年度も自分がやると思った時の労力を考えると、かなりのコスト節約である。
新しくその分掌担当になった人も楽である。
来年度の見通しももてて、その行事も今年度よりうまくいくはずである。
(経験上、最もうまくいかないのが、見通しの悪い時である。つまり、異動したての年である。)
割とやっている人も多いことだと思うが、そんなことももしかしたら役に立つかと思い、僭越ながら紹介してみた。
2015年7月7日火曜日
自分の所属に誇りを持つ
自分の所属に誇りをもつことは、自信を持つことにつながる。
例えば、〇〇家の人間であるという自負。
〇〇学校の児童・生徒であるという自負。
〇年〇組の生徒という自負かもしれない。
大きくは、日本人であるという自負かもしれない。
自負すれば、自然と行動もそれに相応しいものになっていく。
逆に「どうせ自分なんか」という状態は、負の行動へ導く。
また、自分の所属をけなすことも同様。
自分の所属のメンバーに対しても同様
「互いを尊重する、または尊敬する」という態度が、結果的に自信につながる。
単純なことだが、意外と逆にいきがちな部分である。
例えば、〇〇家の人間であるという自負。
〇〇学校の児童・生徒であるという自負。
〇年〇組の生徒という自負かもしれない。
大きくは、日本人であるという自負かもしれない。
自負すれば、自然と行動もそれに相応しいものになっていく。
逆に「どうせ自分なんか」という状態は、負の行動へ導く。
また、自分の所属をけなすことも同様。
自分の所属のメンバーに対しても同様
「互いを尊重する、または尊敬する」という態度が、結果的に自信につながる。
単純なことだが、意外と逆にいきがちな部分である。
2015年7月5日日曜日
成功は運のせい 失敗は自分のせい
タイトルは、松下電器(現パナソニック)創業者、松下幸之助の言。
成功したら、周りのお陰。失敗したら、自分に原因がある。
全員が、そう考えることで、成功も失敗も生かされる。
うまくいったのは、周りの人々と運のお陰だと考える。
そうすると、自分の小さな失敗も生かされる。
失敗したら、自分に何か改善できる点はなかったかと考える。
例えばメンバーの誰かがミスしたとしても、自分にフォローできるものがあったはずである。
または、ミスの原因を自分が作った可能性もある。
どちらにせよ、周りへの感謝と、自己の反省は必須。
うまくいったら、多くは人様のお陰。
うまくいかなかったら、ほぼ自分の責任。
チームメンバー全員に必要な考え方だが、誰よりもこれを意識すべきは、責任者である。
学級なら、担任である。
これは、毎日の授業にも当てはまる。
授業をよく理解していたら、子どものお陰。
授業をよく理解できていないとしたら、担任の責任。
そう考えると辛いし苦しいが、それが真実。
自省していきたい。
成功したら、周りのお陰。失敗したら、自分に原因がある。
全員が、そう考えることで、成功も失敗も生かされる。
うまくいったのは、周りの人々と運のお陰だと考える。
そうすると、自分の小さな失敗も生かされる。
失敗したら、自分に何か改善できる点はなかったかと考える。
例えばメンバーの誰かがミスしたとしても、自分にフォローできるものがあったはずである。
または、ミスの原因を自分が作った可能性もある。
どちらにせよ、周りへの感謝と、自己の反省は必須。
うまくいったら、多くは人様のお陰。
うまくいかなかったら、ほぼ自分の責任。
チームメンバー全員に必要な考え方だが、誰よりもこれを意識すべきは、責任者である。
学級なら、担任である。
これは、毎日の授業にも当てはまる。
授業をよく理解していたら、子どものお陰。
授業をよく理解できていないとしたら、担任の責任。
そう考えると辛いし苦しいが、それが真実。
自省していきたい。
2015年7月3日金曜日
同じ人間として対等にみる
「子どもはやがて大人になる」
こういう見方をすると、普段の接し方も変わってくる。
同じ人間として対等に接する意識になる。
年齢や立場に上下や違いはあれど、それは人間としての上下ではないという見方になる。
そうすると、ほめることが減る。
「?」と思った人もいるかもしれないが、「ほめる」という行為は、原則として上下関係がある。
(アドラー心理学の考え方で、以前何度か書いた。)
上の立場の人が下の立場の人に対して「ほめる」を行う。
「よくできました」「上手」「がんばりましたね」。
どれも、恐らく職場の上司や年長者に対して言うことはないと思う。
ほめるという行為は、上から下への報酬の一種である。
(これ自体は意味のあることだが、子どもが報酬のために行動するようになると、何かと不都合が生じる。)
人間として対等という観点で見ると、ほめるというより感嘆する、感謝することが増える。
「すごい」や「ありがとう」「嬉しい」という言葉が増える。
例えば、仮に子どもが漢字テストで100点を取ったとする。
「よくできました」と言われたら子どもは嬉しい。
しかしこれを、対等の観点で伝えると、
「自分の子どもの頃は漢字100点なんてなかったなぁ・・・(遠い目)。すごい・・・。」
というようになる。(実話。)
別の例で掃除であれば
「真面目にやってるね。あなたはえらいね。」
というところを
「真面目に掃除をやってるね。あなたがいてくれて助かる。」
となる。
これがいいのかどうかは、知らない。
ただ、本当にそういう風に感じて伝えることが多い。
また、この人間として対等に見て接するということは、指導をしないということとは違う。
教育が仕事である。
育つように教えるべきは教える。
特にマナーのようなことは、子どもは経験上知らないのできちんと伝える必要がある。
ダメなことをダメときっちり叱るのも、一人の対等な人間として認めているからこそである。
人間以外の動物にマナーや倫理を伝えようとしないのは「馬の耳に念仏」だからである。
(人間であっても、そういうことがあるので、伝えないことはある。)
子どもは子どもである。
しかしながら、子どもは大人になる人間である。
当たり前だが、そんなことが結構大事なのではないかと思う。
2015年7月1日水曜日
結果には、原因がある
給食を配膳中、ぶつかってひっくり返す。
これが何度か起きたとする。
どうするか。
気を付けるように言う。
しかしまたやる。
叱る。
これが悪循環パターン。
ここでは、失敗の原因に目を向ける。
給食をひっくり返したというのは、なるべくしてなった結果と捉える。
例えば、動線に目を向ける。
人が交互に行き交っていないか。
狭いところを通っていないか。
そもそも、机の配置が悪くないか。
運ぶ人数が多すぎるのではないか。
・・・・
挙げればきりがないが、かなり要素があると思う。
つまり、それだけ要素があれば、なるべくしてなった結果だといえる。
ここで、結果に着手しても無駄である。
気を付けるように言うのは、それにあたる。
原因の方を指導する必要がある。
当たり前すぎることだが、結構見落としがちである。
特に体育では、運動の状態そのものに注目しがちだが、その前の予備動作に原因があることが多い。
これは、様々な場面でいえる。
なぜその状態なのか。
それは、物理の法則と同じである。
高いところから落としたら、振り子が大きくふれるのと一緒である。
自然の結果である。
そういう視点でもって見ると、解決策が見えてくるかもしれない。
これが何度か起きたとする。
どうするか。
気を付けるように言う。
しかしまたやる。
叱る。
これが悪循環パターン。
ここでは、失敗の原因に目を向ける。
給食をひっくり返したというのは、なるべくしてなった結果と捉える。
例えば、動線に目を向ける。
人が交互に行き交っていないか。
狭いところを通っていないか。
そもそも、机の配置が悪くないか。
運ぶ人数が多すぎるのではないか。
・・・・
挙げればきりがないが、かなり要素があると思う。
つまり、それだけ要素があれば、なるべくしてなった結果だといえる。
ここで、結果に着手しても無駄である。
気を付けるように言うのは、それにあたる。
原因の方を指導する必要がある。
当たり前すぎることだが、結構見落としがちである。
特に体育では、運動の状態そのものに注目しがちだが、その前の予備動作に原因があることが多い。
これは、様々な場面でいえる。
なぜその状態なのか。
それは、物理の法則と同じである。
高いところから落としたら、振り子が大きくふれるのと一緒である。
自然の結果である。
そういう視点でもって見ると、解決策が見えてくるかもしれない。
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