子どもの目の前に、障害物がある。
これを近くにいる者がどうするか、大きく二つある。
一つは、障害物そのものを取り除くこと。
もう一つは、障害物を乗り越える手助けをしてあげること。
治療行為を考えるとわかりやすい。
病巣があって手術しないといけないとする。
それは、本人に「がんばって自分でやれ」とはならない。
力のある者(医者)にしか取り除けない。
一方、術後のリハビリの場面。
これは、全部周りの人がやってあげたら意味がない。
支えるが、ねらいは本人に乗り越える力をつけさせることである。
前者は「優しさ」「母性」で、後者は「強さ」「父性」といえる。
人間にはどちらもバランス良く欲しい。
子どもによっても、足りない要素がどちらかに大きく偏っていることがある。
見極めないといけない。
学校や家庭の教育現場でも、日々この選択の連続である。
今、目の前の状況は、手を出すべきなのか、見守る場面なのか。
これを意識するだけでも、指導が変わってくるように思う。
2013年10月26日土曜日
登録:
コメントの投稿 (Atom)
-
教室は、自分の考えを発表する機会が多い。 そして、声が小さいと聞こえづらい。 そうなると「大きな声で」という指導が入りがちだが、これだけだとうまくいかない。 前提条件がある。 まず、たとえ小さな声でも何とか聞こえる環境を作る方が先である。 原則は、仲間の発表中は全員が黙って聞く姿...
-
あいさつ運動、どの学校でもやるのではないかと思う。 しかし、なかなかできるようにならないのが実情である。 街中、都会になるほどしなくなる。 人が多すぎる為かもしれない。 それでも、学校はあいさつ指導の核になる場である。 (全ての教育の核は、学校である。地域の大人も学校の...
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...
0 件のコメント:
コメントを投稿