2013年7月13日土曜日

将来つきたい職業は?

教師という職業は素晴らしい。
しかし、結構そのことを忘れてしまって過ごしてしまうことが常である。

先日紹介した「あこがれ先生プロジェクト」のある講師の方の話に驚いた。
クラスの子どもにに「将来つきたい職業」のアンケートをとったという。
一位は何が来るだろうか。
スポーツ選手やアイドルだろうか。
女子は「パティシエ」という、昭和生まれにはなかった呼び名の職業が上位に来る。
医者や弁護士も人気らしい。

この先生のクラスでは、何と一位が「教師」なのだという。
よほどこの先生が楽しく毎日を過ごしているのだろう。
子どもが「大人っていいなぁ」と思うことは間違いない。
このクラスからはニートも出ないだろう。
最高のキャリア教育推進である。

ちなみに、我が子に将来の希望を失わせる簡単な方法がある。
(中村文昭氏の言葉である。)
毎日、帰宅したら背広を脱ぎながら「ああ~、今日も疲れたぁ~」と言うことだそうである。
「大人って疲れるんだなぁ」と、絶望させるのに効果的だという。
教室でも同様のことをしていないか、気を付けたい。

世に「先生」と呼ばれる仕事はそう多くはない。
せっかく就いたこの職業で、精一杯生きてみたい。

2013年7月10日水曜日

実るほど頭を垂れる稲穂かな

先日、埼玉で開かれた「あこがれ先生プロジェクト」という学習会に参加してきた。
世の中には素晴らしい実践をしている人がたくさんいるなぁと感心しきりだった。

会の終了後、一人の講師の方とお話をする機会があった。
素晴らしいお話を聴かせていただいたので、お礼が言いたかったのである。
話が終わって最後に握手をした瞬間、講師の方が礼として頭を下げた。
私も当然、頭を下げた。
すると、相手の後頭部が見えた。

見ると、ものすごく頭を下げている。
私の腰ぐらいの高さまで頭を下げている。
まずいと思い、とっさにこちらも頭を深く下げた。
良し、と思って頭を上げたら、まだ相手が頭を下げたままだった。

完全に負けた感じである。
別に礼が深いから偉いという訳ではない。
こちらからすれば、相手の方が明らかに年上で立場も上である。
にも関わらず、相手を尊重したこの態度。
誰に対してでも、きっとそうなのだろう。
心を掴まれた感じがした。
講師紹介の中で、「町中の人が『この先生の言うことなら』と人が集まる」と話していた。
納得である。

以前にもやはり尊敬する方に同じようなことをされたことがある。
偉い人は偉い。
「実るほど頭を垂れる稲穂かな」とはよくいったものである。
講演の内容だけでなく、あらゆる面で感動のある会だった。

2013年7月8日月曜日

分数÷分数からの考察

分数÷分数の割り算を教える。

この計算自体は簡単である。
授業でやらなくても、できるようにはなる。
しかし、できることとわかっていることは違う。

どちらが上かというより、次元が違う。
わかるけどできない、という場合もあるし、できるけどわからない、という場合もある。

例えばスマホの操作自体は、2歳児でもできる。
しかし、構造を詳しく説明せよと言われたら、大人でもまずできない。
電化製品などは「できる(使える)けどわからない」の代表格である。
スポーツでも同様である。
「コツは?」「さあ?」という感じ。
本人はできるけど、どうやるかは伝えられないということはよくある。

逆に、わかっているけど本人はできないということも多い。
大学教授などは素晴らしい理論を作るが、やれと言われてもやらない。
(理論を作ることが仕事なのだから、それでいいと思う。やるのは現場の教師だ。)

分数の割り算の場合、計算ができること自体を誉めない。
「こんなのわかってる」「簡単だ」という子どもは多い。
大抵、「ひっくり返してかければいいんでしょ」程度の知識である。
その場合、穏やかに「なぜ」で詰めまくる。
もしもそれで説明できるようなら、初めて大いに誉める。
計算ができることに価値があるのではない。
その原理を知ったり、求める過程を経たり、感動することが大切である。

算数を、無機質なつまらないものにしてしまうのは、その辺りに原因があるように思う。

2013年7月6日土曜日

肝心「要」のお話

前回の続き。

実は、1年ほど前に自分がこの「アーチ橋」で模擬授業をした。
その時、野口先生に割と良い評価していただいたのが
「かなめ石を漢字に直しなさい」からの一連の発問だった。

具体的に紹介する。
「かなめ石を漢字に直しなさい」→要石
「要とは何ですか。」→辞書を引く
「要を部分に持つ漢字を挙げなさい」→腰
「腰という字を用いた慣用句を挙げなさい」
→本腰を入れる、腰が抜ける、腰砕け、他
ここから、人体にとっての要が腰であることに話をつなげた。
今なら、更に「立腰」の話につなげると思う。

因みに、要の上の部分は、人体の中央部に両手を当てた形の象形文字が変形を重ねたものである。
女が付されるのは、腰の発達した女性という意味からである。
つまり、「腰」が意味としては先である。
腰が人体のかなめであることから、かなめの意味になった。
(以上「新漢語林」より)

ここまで授業でやれば、要石の重要性に気付くのではないかと思う。
読み取りを深くするために、発問の一つとして提案したい。

2013年7月5日金曜日

8月31日学級作りセミナー満員御礼

今回は内容により敬体で。

先日紹介した学級作りセミナーが、ちょうど先週に満員御礼となりました。
あれよあれよという間に、知り合いを誘う間もなく満員御礼です。
参加希望のご連絡をくださる方もいますが、申し訳ありません。
キャンセル待ち状態ですので、ご理解ください。
ご期待に添えるようがんばりますので、ご参加の皆様、よろしくお願いいたします。
本当にありがとうございます。

2013年7月4日木曜日

素材研究「アーチ橋の進化」

先日のサークルでの学びをシェアする。

今年度に入り、サークルで国語の素材研究を行っている。
「素材研究」であり、「教材研究」ではない。
教えるためではなく、一読者として深く読む、ということである。

例えば、今回のタイトルをどう読んだだろうか。
恐らく「アーチばしのしんか」と読んだと思う。
4年の教材で長らく使われているが、今までそう読むと思い込んでいた。
しかし、辞書を引くと、「アーチばし」は載っていない。
代わりに「アーチきょう」なら載っている。
どうも、「アーチばし」ではなく「アーチきょう」と読むのが国語的には正しそうである。
(しかしながら、出版社に問い合わせてくれた仲間によると、発達段階に合わせて、あえて前者でよんでいるそうである。)

こんなこと、別に教える必要もない。
必要ないが、真実を知るのは何となく楽しい。
こういうのも、素材研究である。
(前回の「ごんぎつね」の「ごん」の語源と同様である。)

他にも面白いことが分かった。
2010年まで「アーチ橋の仕組み」という題名だった。
これが新教科書で改訂されて、内容も変わった。
不思議である。
大抵、説明文教材などは、どこからか持ってきた作品の抜粋であるイメージが強い。
どうやってタイトルも中身も変えたのか。

実は、この作品は書き下ろしなのである。
わざわざ教科書用に、2011年の教科書改訂に合わせて筆者が書き直したものである。
どうりで、文章そのものが変わっている訳である。
まあ、これも別に子どもに教えるにあたり、使える知識ではない。
ただ、作品を深く知ることにはなる。

ちなみにどうでもいいかもしれないが、「作者」「著者」「筆者」も使い分けが微妙に違う。
作者→創作的内容
著者→ノンフィクションなど
筆者→事実に更に主張のあるもの
こんなのも、素材研究をしてふと気になって調べる楽しさである。

他にも様々あるが、割愛。
素材研究の大切さや方法について、また機会があったら書きたい。

2013年7月2日火曜日

成長曲線と中国の竹の話

メルマガ上でも何度も紹介している成長曲線。
平たく言うと、努力の果実は、実るまでに大変時間がかかり、ある時期を越えると一気に大量に実るということである。
然るべき準備をし、時期がくれば一気に伸びる、という風にも捉えられる。

黒板に図を描く。
横軸が努力量、縦軸が成長量。
最初は横ばいがずっと続きほとんど縦軸方向にはいかない。
しかし、ある点を境に急激に右肩上がりになる。
この点がいわゆる「壁」である。
万物普遍の法則である。

水泳なら、最初の壁は顔を水につけるところ。
次が、5m泳げるところ。
次の壁が高くて、25m泳げるところ。
ここを越えると、100mや200mそして数kmまであっという間である。
今まで大変だったことが嘘のように急激に伸びていく。
そして、はるかに高い位置にある壁にまた当たる。
この繰り返しである。

早起きなら、初日、3日目、1週間、1ヶ月間。
特に1週間までの壁は結構高い。
その後1ヶ月間を越えれば、生活の変化がない限り、毎日楽勝で起きられるようになり、一生の習慣となる。

「努力のつぼ」という話によく例えられる。
つぼに水を注ぐが、外から見ると何の変化もない。
満杯になって、一気に溢れ出た時、初めて見える。
その後は注げばすぐに溢れっぱなしである。
目に見えて、少しの努力が成長に直結するのがわかるようになる。

似たような話を一つ紹介する。
「中国の竹」という話である。
(「7つの習慣 成功には原則があった!」
スティーブン・R・コヴィー著 キングベアー出版 より)
中国の竹の種は、蒔かれてから4年間、小さな芽が出るだけ。
その間、根を張り続ける。
そして5年目に、一気に25mも伸びる。
4年間根を張り続けたのは、この時の為である。

この話のポイントは、もし脆弱な根でそんなに成長したら、倒れて自滅してしまうという点。
見た目が良くて中身がないということの恐ろしさへの教訓も含まれる。
つまり、目に見えない根を張る時期が必要ということである。
結果が今は目に見えなくても、努力は確実に根を張って、成功のチャンスに備えている。

偶然にも「25m」という数値が、特に水泳を教える時にぴったりである。
陸上でも運動会でも普段の勉強でも何にでも使える。
例え話はエピソード記憶として子どもの記憶に残りやすいので、いいのではないかと思う。
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