2017年6月12日月曜日

自分の周りにいる人こそ自分自身

以前紹介した『人生はあるあるである』からの気付き。

この本に「自分の周りにいる人こそ自分自身」という小タイトルの話がある。
給料が安いとか上司が悪いとか、不満を言う人はどの社会にもいる。
しかし、これは当然だという。
例えば、相手から雑な扱いを受けた時。
「自分はいい加減な対応でいいと思われている。」と考える。
つまり、もっと頑張らねばならない。

相手の対応の悪さで怒っている若手には
「お前がナメられてんねんで」
と教えてあげるという。

私も共著『やる気スイッチ押してみよう!』の中で、
「苦手な相手は鏡」ということを書いている。
全く同じことである。

相手に、不平・不満を抱いたら、自分が至らないということ。
子どもにダメなところがあったら、自分をふり返ること。
だらしなさに腹が立つようなら、自分の中にもそれがある証拠である。
もっと努力すればいいのにと思ったら、自分はどうかと考えること。

相手を批判するのは簡単。
しかし、批判して人を指さす時、「人差し指」は文字通り相手をさしているが、小指と中指と薬指は、自分を指さしている。
批判している相手の三倍は自分のことである。
何か言いたくなったら、ぐっと我が身をふり返るようにしたい。

2017年6月11日日曜日

公開研究会ご案内
今日は本校の公開研究会の案内。

6月23日(金)・24日(土) 
千葉大学教育学部附属小学校 第50回公開研究会
http://www.el.chiba-u.jp/kenkyu.html

私は1日目に4年生の「ネット型ゲーム」の授業展開をする。
午後には、教育フェアで「アクティブ・ラーニングの体育」をテーマに実技研&理論研修の予定である。
この日の講師は文部科学省スポーツ庁で体育の教科調査官をされている、高田彬成先生をお迎えする。
授業研と協議会だけでなく、教育フェアまですべてご協力頂く予定である。
特に午後の教育フェアは、体育の初心者はもちろん、新学習指導要領における体育を学びたい方すべてにおすすめである。
私の授業以上に、そちらへのご参加を強くおすすめしたい。

一応自分の授業の宣伝も。
全体の研究テーマ「学びを楽しむ授業」を受け、体育部の研究テーマは
「自ら運動の楽しさを追求していく体育学習 ~サンドイッチ型を通して~」
http://www.el.chiba-u.jp/index_taiiku.html
今回は「ネットボール」という名称で、ネット型ゲームを「つくる」という趣旨で授業展開する。
バレーボールに似た動きになってくると思うが、ルールは全く違うものになる予定である。
誰もが楽しめる「共生」を意識した体育の授業展開を考えている。

以上、ご案内まで。

2017年6月10日土曜日

鯉幟のように

こどもの日に書いた記事。
(うっかり、季節柄のものなのに、アップし忘れていた。)

祝日法には次のように規定されている。
「こどもの人格を重んじ、こどもの幸福をはかるとともに、母に感謝する」

母への感謝も内容の一つである。
なぜか。
簡単に言うと、母こそ子が存在するルーツだからである。
子どもの成長を願い祝うということは、そのまま母親の存在の肯定につながる。
あまり認知されていないが、この祝日に「母に感謝する」の部分を入れたことは、特筆すべきことである。
(父は残念ながら入っていないが、子どもにとって母親の存在は特別である。
 その点において父は母に完全コールド負けである。)

ところで、こどもの日に関連することといったら何か。
列挙すると
1鎧兜・五月人形
2鯉のぼり
3菖蒲湯
4ちまき
5柏餅

ここに込められた願いを考えると、次のように分類できる。

1、2、3,4は子どもの成長を願うものである。
5だけは、親のため。
柏の葉は新芽が育つまで落ちないために、子が育つまで親が生きながらえるという意味がある。
親が生きることが、子の成長に間接的につながるという考えである。

他の視点で分類する。
2の鯉幟だけが異質である。
どういう視点か、少し考えてみて欲しい。

私の尊敬する野口芳宏先生の言葉に、次のものがある。
「子供には、支援よりもむしろ鍛えを。」

つまり鎧冑も五月人形も菖蒲湯もちまきも柏餅も「子どもを守る」という支援・厄除けの視点である。
鯉幟だけが「逆境を乗り越え逞しく生きよ」という鍛錬の視点である。

子どもは、守られるべき存在である。
一方で、子どもは、自立に向けて成長すべき存在でもある。

以前、オンライン記事で書いたが、鍛える視点、叱る視点を欠落させないことである。
(参考『子どもを「大切に大切に」しながらダメにする親』プレジデントオンライン
http://president.jp/articles/-/17690?page=4)

学級経営においても、この基本は外さない。
勉強ができないで困っていたら、教えてあげればいい。
でも、教えた後は、自分で解けるように見守る段階が必要である。
たとえ子ども同士で教え合わせる時にも、この視点をもたせる。
親切な子どもほど、相手が自力でやろうという段階でもまだ手出しや口出しをしてしまう。
教師でも同様である。

子どもを、何かができない存在として見ない。
子どもは、何かができるようになる存在である。
だから、鍛える。

鯉幟は、激流を昇って鍛えられることで龍になる。
子どもも、いつまでも子どもではない。
必要な部分は守りながらも鍛えて鍛えて、逞しく育てたい。

2017年6月8日木曜日

所属にプライドをもつ

私は「ビジネス発想源」という人気メルマガを読んでいる。
だから、そこでおすすめされている書籍は、結構即買いしている。
今回ネタにする本も、そこで紹介された本である。

『人生はあるあるである』
レイザーラモンRG 小学館よしもと新書
https://www.amazon.co.jp/dp/4098235048

次の一文に、心がひかれた。
===============
(引用開始)
ただ、一生懸命に働いたのは店長に気に入らたいからじゃない。
僕は自分の所属している団体がダサいと思われたくなかったのだ。
そして店長が嫌だからといって、ダラダラ接客するということは、その店にいる自分がダサいということだと思っていた。
(引用終了)
=================

全く同感である。
一生懸命働かないのは、ダサいのである。
自分の所属団体がダサいと思われるのは、プライドが許さない。
今までも、そう思ってきた。
「この学校に入れたい」「この学校に異動したい」
そう思われる学校にするために貢献したいと、どの職場にいる時も強く願ってきた。

幸いにも、最近ちょくちょく「附属小学校に異動したい」という声をきく。
その声を県内、県外の職員へ広げることが、一つの目標である。
教育実習の学生に「この学校でいつか働きたい」と思わせることが目標である。
私がかつて、指導教員の先生に抱いた憧れを、下の代にも伝えたいのである。

所属にプライドをもつ。
それは、一番小さな団体は家族であるし、さらに小さくすると自分自身である。
大きくすれば、学校、、地域、県、関東、そして何より、日本国である。

所属へのプライドをもって、仕事にあたりたい。

2017年6月6日火曜日

だらだらを勉強させない

小学館セミナーでの学びシェアの続き。

陰山英男先生の言葉。
「だらだらを勉強させない」
どういうことか。

私のメモだが、次のような話をされていた。
「だらだら分数の勉強をしているのは、分数の勉強をしているんじゃない。
だらだらの勉強をしているんだ。」

以前紹介したことのある、野口先生の「教材内容と教科内容と教育内容の違い」の考え方に近い。
つまり、分数の計算の学習自体は、教科としての内容。
しかし、だらだら勉強をしているのは、「だらだら」の勉強なのである。
「だらだらやる」という学習となる。
「24時間道徳」と同じ考え方である。

同じことが、仕事にもいえる。
今日出勤するのは、何のためなのか。
労働対価としての給与をもらうためなのか。
一日を過ごしてゴールデンウィークに近付くための、単なる忍耐の時間なのか。
社会に出て自分を役立て、人に喜んでもらうためなのか。
目的意識の違いで、得られるものは全く変わる。
(ちなみに、どんな働き方をしようが前2つは手に入る。)

話を戻して、子どもにマイナスの学習をさせない。
ただ教科内容を教えれば良いというものではない。
学生時代、こちらが聞いていようがいまいが、ひたすら喋るだけの授業を受けたことがあると思う。
歴史の時間なのに「内職」として英語の学習をしていたり、ひどいと弁当を食べていても黙認されていることもある。
これは「授業を聞かないで自分勝手にしてもよい」
「自分の受験に関係のない学習は無意味」
という学習をさせていることになる。

子どもに何を学習させているのか。
教科内容だけでなく、教育内容にまで目を向けるようにしたい。

2017年6月4日日曜日

学級経営に上下なし

私の同僚に口が悪いのが何人かいる。
(先に言っておくと、割と仲良しである。)
『切り返しの技術』を読んで、こんなことを言われた。
http://www.amazon.co.jp/gp/bestsellers/books/500322/ref=pd_zg_hrsr_b_1_5_last

「お前の本、いいこと書いてるな。
そんなに学級経営うまくねーのに!」

腹立たしいことこの上ないが、まさにその通りで、ぐうの音も出ない。
そう、勘違いされることがあるが、そんなに何でも楽勝でうまくいっている訳ではない。
常に試行錯誤しながら、目の前の子どもたちと真剣勝負の日々である。
喜怒哀楽がもろに出るし、昨日はすごく喜んでると思ったら今日は落ち込んでいる。
だから、この同僚の言うことは、(半分残念ながら)本当である。

ただ、私は実感をもって言えるのだが、みんなそうではないかと思う。
本を何十冊も書いているとかいうと、神様のような学級経営を想像する。
「毎日、みんなきらきらとした笑顔で、先生も輝きながらいきいきと、・・・」
私は、そういう風に思っていた。
今は、「そんな訳ない」と思う。

世の中には色々な学級経営方針や手法がある。
その中には「褒める」を中心にしたものもあれば「叱る」を中心にしたものもある。
「一斉指導」の実践が多い人もいれば「個別指導」の実践が目立つ人もいる。
しかしどの人だって褒めるのと並行して叱っているし、叱るだけでなく褒めている。
一斉指導をしながら個別指導をしている。
苦しみながらも喜びを見出している。
だから何度も言っているが「これをやっているだけで万事うまくいく」というのは、ない。

学級で相手するのは、プログラム通りのロボットではなく、個々の人間である。
個性的すぎる。
本で書かれることは、その中に「これは共通して言えることが多い」という程度のことである。
そこを手法として紹介しているにすぎない。

話を戻すと、だから私も学級経営がうまいなどと口が裂けても言えないのである。
大失敗もたくさんしている。
逆にいえば、大失敗という資産がたくさんある。
だからこそ、人様に色々なことが紹介できるのである。
「ピンチはチャンス」の経験があるし、「どうにもうまくいかない目の前の子どもが、神様」という実感がある。

うまくいったと思おうが思うまいが、どちらも見方でしかない。
学級経営に上下はなく、みんな常に「それはそれでよし」なのである。
そうでないと、全国のすべての子どもたちに申し訳ないことになる。
とにかく、目の前の状況を楽しむこと。
そのために、「切り返しの技術」は必ず役立つ。
学級経営は下手くそかもしれないが、間違いなくいい本であるので、自信をもって多くの人におすすめしたい。

2017年6月2日金曜日

5月から6月に大変なのは、普通。


どの学級でも、何かと落ち着かなくなる時期である。
最初の三日間、一週間、一ヶ月というのは、一つの勝負どころでもあり、区切りでもあり、崩れ時にもなる。

この時期は、最初のルールが乱れてきたり、何かうまくいかない感じになる。
それが普通と思っているか、自分だけの異常事態と捉えるかで、大分違う。
エネルギー満タンで、自信とやる気に満ち溢れている人なら、後者の捉えでも構わない。ガンガン進んでほしい。
大部分の方は、ちょっと疲れていると思うので、それが普通なんだという捉えの方が、健全である。

普通だから何もしなくていい訳ではない。
ピンチな感じの今こそ、改善のチャンスである。
勉強にも今まで以上に身が入る。
教育雑誌一つを読んでも、普段なら読みとばすような記事が引っかかるはずである。
アンテナが高くなるとか、フックがあるとかいう状態になる。

また、たまたま自分のクラスが安定しているという場合もある。
この場合は、危機感がない分、実はより危険なので、とりあえず総点検した方がよい。
うまくいってると、他の苦しんでいる担任にアドバイスをしたくなるが、まあやめた方がよいというのが本音である。
実は、安定していると思っている本人が一番危ない。
更に、安全地帯からのアドバイスは、相手が落ち込むか腹が立つかのどちらかである。
「わかるよ。大変だよね…」と共感してくれた方がありがたいし、真実である。

いずれにしろ、この期間にすべきことは、休養よりも勉強というのが専ら持論である。
今必要なのは、回復することなのか、先に備えて磨いておくことなのか。
自分にとって必要な行動を選択してとるようにしたい。
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