図工展があり、審査員の先生が言っていたことが心に残った。
「学校間より同一校のクラス間の差が気になりました。
指導方法や技術なども学年でもっと話し合って下さい。
ベテランの先生が若い先生に教えてあげて。
若い先生はもっと積極的に聞いて学んで。」
他の審査員の先生も、別の場で、ある学校の同一学年の作品を比較して、次のように言っていた。
「この2つの学級の作品を並べた時、隣のクラスが羨ましいなあと思われないかな?」
「保護者が参観した時、どう思うかな?」
どの教科でもそうだが、自分の学級だけが良ければいいというものではない。
(慣れない最初の頃は、自分の学級だけでも手いっぱいであるが。)
得意分野があるなら、それを活用して隣のクラスもよくしよう、学年をよくしようという意識が必要ということだろう。
(お節介にならない程度に。)
やがてレベルが上がれば、それが学校全体に、地域の学校に、他県に全国にと広がっていくのだと思う。
周りの学級までも考えて動けるようになったら、きっと一人前である。
精進したい。
2011年11月6日日曜日
怒りの根本・根源は
最近発見したことを。
腹が立つことがある。
子どもが言うことをきかないとかだらしないとか云々。
根本を突き詰めてみると、自分自身への怒りである。
言うことをきかない時やだらしなさを改善できない時は、言うことをきかせられない自分に対していらついている。
勉強ができない時は、わかるようにさせられない自分に対しての自己防衛的な怒りである。
子どもに対していらついたら、少し立ち止まって根本・根源を考えてみる必要がある。
腹が立つことがある。
子どもが言うことをきかないとかだらしないとか云々。
根本を突き詰めてみると、自分自身への怒りである。
言うことをきかない時やだらしなさを改善できない時は、言うことをきかせられない自分に対していらついている。
勉強ができない時は、わかるようにさせられない自分に対しての自己防衛的な怒りである。
子どもに対していらついたら、少し立ち止まって根本・根源を考えてみる必要がある。
2011年11月5日土曜日
お母さんの電話の声で
朝、日直のスピーチをさせる。
声が小さい。
「もっと大きな声で」と言っても、ますます小さい。
どうするか。
石川県の山本正美先生の実践。
山本先生は、「見える化」というものを提唱して本も出している。
次のような実践を紹介された。
(ご本人は、有名な実践で、オリジナルではないとおっしゃっていた。)
「お母さんが電話に出る時の声で!」
どんなにガミガミと子どもを叱っている最中でも、電話に出れば、お母さんはたちまち高いご機嫌な声になる。
それを真似しなさいと。
つまり、私用と公共の声は分けろということである。
人様に聞かせる声は、いつもと同じではいけないのである。
他にも「あいさつは店員さんになって」とか、色々ある。
声の出し方も具体的に「見える化」すると良いという実践を紹介した。
声が小さい。
「もっと大きな声で」と言っても、ますます小さい。
どうするか。
石川県の山本正美先生の実践。
山本先生は、「見える化」というものを提唱して本も出している。
次のような実践を紹介された。
(ご本人は、有名な実践で、オリジナルではないとおっしゃっていた。)
「お母さんが電話に出る時の声で!」
どんなにガミガミと子どもを叱っている最中でも、電話に出れば、お母さんはたちまち高いご機嫌な声になる。
それを真似しなさいと。
つまり、私用と公共の声は分けろということである。
人様に聞かせる声は、いつもと同じではいけないのである。
他にも「あいさつは店員さんになって」とか、色々ある。
声の出し方も具体的に「見える化」すると良いという実践を紹介した。
2011年11月4日金曜日
学級形成の原点
教育の原点を考えるといった、ものすごく濃い内容の勉強会に参加してきた。
自分自身の復習にもなるので、ほんの一部になるがシェアしていく。
学級において、教師と子どもはどういう関係が好ましいのか。
講師の一人、山中伸之先生は次のように述べられていた。
「愛され恐れられよ」
マキャベリの「君主論」の一節
「君主は愛されるより恐れられよ。しかし憎まれてはいけない。」
を引用しての言葉である。
先生のことが好きで、また教わりたいと思わせるのだけど、間違った行動をとると大変厳しいとも思われている。
そう思わせるような、近すぎず離れすぎずの適切な距離感とバランスのとれた関係が好ましい。
これを目指すにあたり、自分のタイプの見極めも大切である。
元々厳しい雰囲気を持った人は、つとめて楽しい実践を追い求める。
逆に柔らかな雰囲気を持った人は、ルールを決めたらもう退かないで、粘り強くやる。
目指す学級のヒントになるのではないかと思い、まず紹介した。
自分自身の復習にもなるので、ほんの一部になるがシェアしていく。
学級において、教師と子どもはどういう関係が好ましいのか。
講師の一人、山中伸之先生は次のように述べられていた。
「愛され恐れられよ」
マキャベリの「君主論」の一節
「君主は愛されるより恐れられよ。しかし憎まれてはいけない。」
を引用しての言葉である。
先生のことが好きで、また教わりたいと思わせるのだけど、間違った行動をとると大変厳しいとも思われている。
そう思わせるような、近すぎず離れすぎずの適切な距離感とバランスのとれた関係が好ましい。
これを目指すにあたり、自分のタイプの見極めも大切である。
元々厳しい雰囲気を持った人は、つとめて楽しい実践を追い求める。
逆に柔らかな雰囲気を持った人は、ルールを決めたらもう退かないで、粘り強くやる。
目指す学級のヒントになるのではないかと思い、まず紹介した。
2011年11月3日木曜日
子どもが動かないクラスと考える力
考える力はつけたい。
本当に必要な考える力とは何なのか。
テストは、考える力の中のごく一面は見られる。
しかし、本当に社会に必要とされている考える力は、テストで見られるものとは違う気がする。
国語だから、算数だからではなく、普段から考える力を鍛える。
生活の中で鍛える。
例えば朝、窓も開けずに電気もつけずに、ただ座って待っている子ども達のいる学級があるとする。
その学級では担任が電気をつけ、窓を開けることとなる。
または、やるよう言い渡す。
こんな場面は、無限にある。
あいさつ、掃除、授業の始まりの着席、給食準備に廊下の歩き方まで、限りなくある。
何が良いか考えて生活している者と、周りに同調してロボットのように動いている者(物といっても良い)、自分勝手にふるまう者の3タイプいる。
有田和正氏が著書の中で「研究授業を見る時、授業前の子どもの動きで、授業のレベルも推し量れる」というようなことを書いていた。
ダメなクラスは、全部教師が子どものお世話をしているのである。
教師が何か準備をしようとしたら、すぐに手伝いに駆けつけるような心と頭が欲しい。
そういうささいな積み重ねが、考える力につながると思う。
テストの結果も大切だが、それ以上に普段の考える力を鍛える方が、より大切だと考える。
本当に必要な考える力とは何なのか。
テストは、考える力の中のごく一面は見られる。
しかし、本当に社会に必要とされている考える力は、テストで見られるものとは違う気がする。
国語だから、算数だからではなく、普段から考える力を鍛える。
生活の中で鍛える。
例えば朝、窓も開けずに電気もつけずに、ただ座って待っている子ども達のいる学級があるとする。
その学級では担任が電気をつけ、窓を開けることとなる。
または、やるよう言い渡す。
こんな場面は、無限にある。
あいさつ、掃除、授業の始まりの着席、給食準備に廊下の歩き方まで、限りなくある。
何が良いか考えて生活している者と、周りに同調してロボットのように動いている者(物といっても良い)、自分勝手にふるまう者の3タイプいる。
有田和正氏が著書の中で「研究授業を見る時、授業前の子どもの動きで、授業のレベルも推し量れる」というようなことを書いていた。
ダメなクラスは、全部教師が子どものお世話をしているのである。
教師が何か準備をしようとしたら、すぐに手伝いに駆けつけるような心と頭が欲しい。
そういうささいな積み重ねが、考える力につながると思う。
テストの結果も大切だが、それ以上に普段の考える力を鍛える方が、より大切だと考える。
2011年11月2日水曜日
光の速さで電話に出よう
今日の話は、若い先生向けに。
当たり前過ぎるビジネスマナーについて。
「光の速さで電話に出よう」
ただこれだけである。
職員室には、大抵の場合、事務職員がいる。
一括して窓口になって電話を受けてくれている。
教員は教室にいるので、電話を受けようにも受けられないからである。
だから、就職したての頃から、電話に出ないのが慣れっこになっている。
しかし、これは一般の常識ではあり得ない。
一般企業なら、若手が電話に出るのが当たり前である。
先輩に取られたら、怒鳴られて叱り飛ばされる厳しい世界である。
または陰で「使えない奴」の烙印を押されてしまう世界である。
職員室で仕事をする時は、積極的に電話に出た方がいい。
ある意味ゲーム感覚で、勝負だと思ってやる。
同期及び同年代の先生に電話をとられたら、「負け」。(とれば、「勝ち」。)
年配の先生にとられたら、「惨敗」。(その場にいた若輩者全員。)
反射神経においても、年配の先生に負けたことになる。
情けないことである。
ちなみに3コールさせてしまったら、職員室の全員が「負け」である。
職員室全体がたるんでいる疑いがある。
事務職員の方や管理職に頼りすぎなのである。
反省した方がいい。
たかが電話の一つ、まともに出られるようにしたい。
当たり前過ぎるビジネスマナーについて。
「光の速さで電話に出よう」
ただこれだけである。
職員室には、大抵の場合、事務職員がいる。
一括して窓口になって電話を受けてくれている。
教員は教室にいるので、電話を受けようにも受けられないからである。
だから、就職したての頃から、電話に出ないのが慣れっこになっている。
しかし、これは一般の常識ではあり得ない。
一般企業なら、若手が電話に出るのが当たり前である。
先輩に取られたら、怒鳴られて叱り飛ばされる厳しい世界である。
または陰で「使えない奴」の烙印を押されてしまう世界である。
職員室で仕事をする時は、積極的に電話に出た方がいい。
ある意味ゲーム感覚で、勝負だと思ってやる。
同期及び同年代の先生に電話をとられたら、「負け」。(とれば、「勝ち」。)
年配の先生にとられたら、「惨敗」。(その場にいた若輩者全員。)
反射神経においても、年配の先生に負けたことになる。
情けないことである。
ちなみに3コールさせてしまったら、職員室の全員が「負け」である。
職員室全体がたるんでいる疑いがある。
事務職員の方や管理職に頼りすぎなのである。
反省した方がいい。
たかが電話の一つ、まともに出られるようにしたい。
2011年11月1日火曜日
ペンギンは空を飛べない
前回の話の続きにあたる話を。
無駄なコンプレックスについてである。
憧れる先生を持つことは大切である。
ライバルを持つことも大切である。
しかしながら間違えてはならないのは、「相手と自分は違う」ということである。
ともすると、○○先生と比べて自分は何でダメなんだろうと思いがちである。
例えば、私はよく、誰にでも人当たりがよくて、子どもに何でも話してもらえるような先生を羨ましく思う。
(女の先生に多い気がする。)
音楽のオーケストラを指導したことがあるなどという話をきくと、恐れ入ってしまう。
書家としても活躍中の先生などになると、逆にもう自分には無理すぎて諦めがつく。
よくよく考えてみると、どれも自分には無理な分野である。
「何だって努力すればできる!」という前向きな考え方は否定しないが、適性がある。
やはりどんなに頑張っても、ペンギンは空を飛べない。
走るトレーニングをしても、ダチョウみたいには速くならない。
でも、泳がせたら、努力しないでも鳥類の中でナンバーワンである。
かわいさや人気だって、相当上位に来る。
速さを競うなら、空や陸より、断然水の中で勝負した方がよい。
陸で競うなら、速さよりかわいさで勝負した方がよい。
ないものはない。
しかし、他人が羨むものが自分にも必ずある。
自分の能力を使うフィールドを間違えないことである。
今自分ができることに全力を尽くし、無駄なコンプレックスは感じないようにしたい。
無駄なコンプレックスについてである。
憧れる先生を持つことは大切である。
ライバルを持つことも大切である。
しかしながら間違えてはならないのは、「相手と自分は違う」ということである。
ともすると、○○先生と比べて自分は何でダメなんだろうと思いがちである。
例えば、私はよく、誰にでも人当たりがよくて、子どもに何でも話してもらえるような先生を羨ましく思う。
(女の先生に多い気がする。)
音楽のオーケストラを指導したことがあるなどという話をきくと、恐れ入ってしまう。
書家としても活躍中の先生などになると、逆にもう自分には無理すぎて諦めがつく。
よくよく考えてみると、どれも自分には無理な分野である。
「何だって努力すればできる!」という前向きな考え方は否定しないが、適性がある。
やはりどんなに頑張っても、ペンギンは空を飛べない。
走るトレーニングをしても、ダチョウみたいには速くならない。
でも、泳がせたら、努力しないでも鳥類の中でナンバーワンである。
かわいさや人気だって、相当上位に来る。
速さを競うなら、空や陸より、断然水の中で勝負した方がよい。
陸で競うなら、速さよりかわいさで勝負した方がよい。
ないものはない。
しかし、他人が羨むものが自分にも必ずある。
自分の能力を使うフィールドを間違えないことである。
今自分ができることに全力を尽くし、無駄なコンプレックスは感じないようにしたい。
登録:
投稿 (Atom)
-
教室は、自分の考えを発表する機会が多い。 そして、声が小さいと聞こえづらい。 そうなると「大きな声で」という指導が入りがちだが、これだけだとうまくいかない。 前提条件がある。 まず、たとえ小さな声でも何とか聞こえる環境を作る方が先である。 原則は、仲間の発表中は全員が黙って聞く姿...
-
あいさつ運動、どの学校でもやるのではないかと思う。 しかし、なかなかできるようにならないのが実情である。 街中、都会になるほどしなくなる。 人が多すぎる為かもしれない。 それでも、学校はあいさつ指導の核になる場である。 (全ての教育の核は、学校である。地域の大人も学校の...
-
名称の謎の話。 小学校で行う跳び箱の切り返し系の技といえば、開脚跳びとかかえ込み跳び。 かかえ込み跳びは「閉脚跳び」とも呼ばれる。 名称が二つあるのは、学習指導要領での表記の変遷による。 以下、体育の豆知識。(興味ない方は読み飛ばしていただきたい。) かかえ込み跳び...